大人になるということ
この世になぜ生まれたのか。
自分は何をしにきたのか。
時に一人で考えることはこんな壮大な疑問ばかり。
僕はどうやら人の面倒を見るのが好きで、できれば周りと一緒に成功したいという思いが強いようだ。
時にその思いは知ってか知らずか裏切られ、全てが無駄に思える虚無感の中に突き落とされる。
知らぬ間に損得勘定を自分もしていて、やってあげたとか、こんなに頑張ったと自分を厚かましく持ち上げて、相手にリターンを求めてしまう。
どうでもいいさと空を見上げ、
やけっぱちな言葉が次々と口を突く。
世の悲しみや無常を理解することも大人になることかと、諦めるように咀嚼することが辛い。
熱すれば熱するほど冷まされた時の悲しみは強いから、熱さないほうがいい。
でも聞こえる。
本当の己は心通わせ、共に成長することを望む仲間を求めている。愚かに見えてもいい。自分の持ち味で勝負したいと考えている。
人の哲学にブレたりしないで、世で語られる真理とかうまい話に流されないで、自分が信じることを貫いて新しい事実を作ろう。
人に媚びず、人に流されず、人に埋もれず。
結果に責任が持てるように選択しよう。
それが僕なりの大人になるということ。