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みどりさんがまだ来ない

「みどりさん、まだいらっしゃらないんですか?」

 9月14日、長野県岡谷市の笠原書店岡谷本店で『九十五歳みどりさんの綴り方 わたしを育てた岡谷のひとびと』の刊行記念トークが開かれました。私は司会と進行を担当することになっていました。開始時間の15分前になっても主役であるみどりさんが到着しません。




 今回のトークイベントのテーマは「書くこと―自分を再発見すること」。1週間前に思いついたものです。みどりさんが早逝したお母様のことを手紙を書くことで新たな自分を発見する姿が印象的でした。その部分をクローズアップして話を進める予定でした。午前の打ち合わせでは、みどりさんが、私的な手紙ではなく、本にすることの責任についても話され、「これならいける」と確信を持っていました。その時は、親戚の方がみどりさんを連れ出すことになっていました。

 なのに、まだ来ない。

 会場には親戚や昔の友人が次々と集まりはじめていました。みどりさんの文章教室の仲間だった女性や、お土産を持参してくれた夫・万吉さんの知り合いもいらっしゃいました。受付で、親戚らしき女性があいさつをしていたので、みどりさんのことを尋ねると、どうやらまだ自宅にいることが判明。連絡の行き違いでした。これが、イベント開始の10分前のことでした。

養蚕の話などで盛り上がる



 それでも、来場者の皆さんをお待たせするわけにはいかない。急遽、みどりさん不在のままトークを5分遅れでスタートさせることにしました。

 トークのプランはいったんチャラにして、本の紹介などで場をつなぎました。15分遅れてやっとみどりさんが到着。慌ただしくトークを始めたところ、何を尋ねても「特に何も思わなかったわ」とおっしゃるばかり。いきなり40人を超す来場者の前に出されたこともあり、当然の反応かもしれません。

 そこで、イラストを担当した登壇者でもある中村美喜子さんが機転をきかせて養蚕の話を始め、会場を和ませてくれました。少しずつみどりさんもペースを取り戻し、やがて涙ながらに爆破未遂事件の話を語り出しました。


爆破未遂事件の話ではみどりさんは涙を見せた(右)。左は息子の片倉和人さん。後方の壁には夫の片倉万吉さんの写真を展示した。



 夫が無実にもかかわらず爆破未遂事件の容疑者として有罪判決を受けたとき、どれほど恐ろしかったか、裁判の不条理さ、そして「お上がやろうとすれば、どんなことでもできる」という国家権力の怖さを、みどりさんはまるで昨日のことのように語りました。涙ながらに、「理不尽に裁かれたあの時の悔しさは、決して忘れることはできない」と言ったその瞬間、会場全体が静まり返り、みんながその言葉に耳を傾けていました。

 この流れができたのも、やはりみどりさんの「経験のなせる技」ではないでしょうか。

 以前テレビで見たAI研究者との会話を思い出しました。なぜAIで地震予知ができないのか、と聞かれた研究者は「大地震のデータが蓄積されていないからだ」と言っていました。天気予報は日々の気象データが蓄積されているからこそ、予測が可能ですが、大地震となると、数十年に一度しか起こらないため、予測できるほどのデータがない。もし大地震を予測するためには、数千年、いや数万年の年月が必要だと言います。

 この話を聞いた時、人生にも同じことが言えるのではないかと思いました。仕事や日常は、天気予報のように経験を積み重ねていけば予測がつきますが、人生の危機や大きな出来事はそう頻繁に起こるものではありません。長い年月をかけて少しずつ蓄積される「経験」こそが、人生の中で対処し、乗り越えていくための知恵なのです。だからこそ、みどりさんのように95年もの経験を積んだ方の話は、私たちにとって貴重な教訓となります。

 みどりさんの人生は、まさに「大きな物語」と「小さな物語」が交錯しています。夫が爆破未遂事件の濡れ衣を着せられ、トンネル建設問題では国鉄と戦い、戦時中は学徒動員にも従事した。3歳で母親を失い、兄弟とも離れ離れになり、岡谷で養蚕に従事した祖母に引き取られた彼女の人生は、まるで数十年に一度の大地震のような稀な出来事が積み重なっています。

 それだけではありません。みどりさんのふるさとである岡谷は、諏訪湖から流れる天竜川が育んだ豊かな自然の美しさがあります。また、祖母、母、叔母という信州に生きる女性たちの賢さと力強さが彼女を支えてきました。彼女は、その精神を引き継ぎ、人生を紡いできました。日常の「小さな物語」こそが人生の底流に流れています。

手前は養蚕に使う桑の葉の畑



 私は自分の半生を振り返ってみても、こんなに波乱に満ちた経験は積んでいません。日常の雑事や内面の悩みにとらわれた「小さな物語」でしかありません。一方、みどりさんの物語には、日本の戦後史という「大きな物語」と、家族やふるさとの思い出という「小さな物語」が縦糸と横糸のように織りなされています。

 生活の中で、こうした経験の蓄積がどれほど大事かを感じさせられました。人生の危機や大きな出来事はめったに起こらない。だからこそ、日々の豊かな「小さな物語」という横糸を大切に積み重ねていくことで、いずれそれが一つの「大きな物語」を形作る。織物の縦糸と横糸のように、日常の一つ一つが未来の自分を支える糧となっていく。そんなことを感じさせられる一日でした。


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