新刊と母のこと
「この句はどうかしら?」
母は俳句ができるとよく電話をよこしてきました。「語感からイメージが広がるね」「あえての字余りがいい」「情景がよく伝わる」など、適当な感想をそのつど言うのもお決まりでした。時にはウザく思うこともありました。でもある時を境にぷっつり電話はなくなりました。認知症の症状は徐々に現れていました。覚悟はしていましたが、電話がなくなると寂しいものです。その後、母は施設に入り、入院しがちになっていきました。句集をつくってあげると約束したきり、忙しさにかまけて作ってあげられなかったのが、一番の後悔です。そんな時、みどりさんの本の話をいただきました。
ナナルイの1冊目は、歌人で機織り職人でもあった八木喜平さんの歌集『タテイトヨコイト』でした。喜平さんの地元、豊橋にある老舗書店、豊川堂でイベントを開きました。その時、愛知大学の先生が見に来てくれました。講演後にお話する機会があり、「93歳(当時)になる母の本を出してあげたい」と頼まれました。
最近では「おばあちゃん本」というジャンルがあり、「102歳一人暮らし」「○○ばあちゃんの贈り物」「○歳一人暮らしの知恵」など書店にはコーナーもあります。需要はあるかもしれませんが、ナナルイとして出版するにはどうなのか、少し迷いもありました。断ろうか受けようかと思っているうちに文章が届きました。
読んでみると、その内容は想像を超えるものでした。お母様の名前は「片倉みどり」さん。コロナ禍で会えないとき、豊橋で大学の教員をしている息子の和人さんと半年間文通を続けていた手紙を中心にまとめられたものでした。母と生き別れた話、祖母との岡谷での静かな暮らし、戦争中の学徒動員、夫との出会い、冤罪事件、トンネル闘争など、岡谷で生きたひとりの女性の生活史であるとともに、激動の戦後史の一端を垣間見ることができます。息子に語りかけるみどりさんの文章は、読者をその場に引き込む力があります。
手紙を書くうちに次々と記憶が蘇り、みどりさんが「もう書くことがなくなった」と言って文通は半年で終わったと書かれています。息子さんが言うには、書き終えてから、柔和な表情に変わったそうです。
編集で苦労したのは、手紙にどこまで手を入れるかでした。あまり正しい日本語を求めると、文章の味わいが失われてしまいます。しかし、整合性も大事です。このバランスを取るのが編集の醍醐味でした。手紙の順番を入れ替え、言葉を整理しましたが、それでも校正の方からは「編集が全然なっていない」と厳しい指摘を受けることもありました。
編集も佳境に入った2月、91歳で母は逝ってしまいました。母の句集を出してあげられませんでした。せめてこの本は頑張ろうと気持ちを切り替え、この7月に完成しました。みどりさんも95歳になっていました。タイトルは「九十五歳みどりさんの綴り方 わたしを育てた岡谷のひとびと」に決まりました。
入稿は済ませました。編集や発注など一通りの作業を終えて、母の句を見返してみました。
「病人と割り切る一日冷奴」
久しぶりに見た母の手書き文字でした。今回のみどりさんの本にも病床日記という章があります。冷奴の白さと病床と母親のイメージが一気につながってしまいました。ある種の諦念とひとりで生きる力強さを、みどりさんの本に重ね合わせてしまったところもあります。自分の母親にもこういう本を出してあげられたらなあと、後悔半分、やりきった思い半分です。
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