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さくらのあしあと

春になるたびに思い出す、私の淡き一瞬。

好きとか、恋とか、そういうの分からなかった。

剣道部で、放送委員会の委員長だった。たった2個しか変わらないのに、その姿はいやに大人びて見えた。その先輩が私と同じマンションの同じ階に住んでいたことを知ったのは、つい最近のことだった。

私は入部した剣道部は、先輩が目当てで入ったわけではなくて、ただ自分を鍛えたいという気持ちで入ったのだけど、結局のところ体調を崩して辞めてしまって、先輩のことを見る機会は、月に1度の放送委員会のミーティングと、週に1度のお昼の放送の時間だけになった。

学年も違えばクラスも違い、性別も違えば何もかもが違う先輩と会うのは、すごく貴重なことで、先輩と会える日に出会うたび、私の心は揺れ動いた。「ねえ、好きな人っている?」という誰かの問いかけに、私は首を横に振るばかりだった。だって、先輩のことは好きだったけど、それは恋ではなくて単なる憧れであるとばかり思っていて、その気持ちが叶ってほしいなんてことは、一度たりとも思ったことはなかった。ただ、先輩の姿を見るだけで良かった。

私が今の中学校に入学してから1年が経とうとしていた。3年生の先輩は、もうすぐ卒業だった。先輩は少し遠い高校の美術科に進学することが決まったのだと、その高校に通うために引っ越しをするのだと、私は友人のツテで聞いた。先輩が美術系を目指していることを、私はその時に初めて知った。卒業式に1年生は出席しない。3年生とその保護者で執り行われる式の日程だけ私は知っていて、引っ越しがいつであるかも知らなかった。先輩の家は私のマンションの104号室で、私の家は101号室だった。

「やらずに後悔するより、やって後悔した方が良いじゃん!」と私の友人は、玄関先で私を励ました。卒業式が終わった次の日、私は前々から先輩のボタンが欲しいのだと、密かに打ち明けていた。特に告白したいわけではなく、特に思い出にしたかったわけではない、ただ先輩のボタンがもらえたら、少しだけ世界に絶望していた私の世界は変わるんじゃないかと、期待をしていた。私の中学校はブレザーだったので、いわゆる第二ボタンをもらう風潮はなく、その代わりに胸元に付けられた名札をもらうのが主流だったらしい。それでも私は、名札ではなくボタンが欲しいと思った。

震える手で、手紙を書いた。直接渡しに行くことは到底難しかったから、辛うじて知っている先輩の部屋番号のポストに入れることにした。先輩への宛名と、ボタンが欲しい旨と、自分の名前と部屋番号。今までにないほど丁寧に、それでいて先輩を困らせないように控えめに、私は思いの丈を綴った。便箋1枚に、今までお世話になったことや、ずっと応援していたこと、高校に行っても頑張ってほしいこと、強くしっかりと記した。

ポストに投函して、返信がないことも考えた。もしかしたら読んでくれていないかもしれないし、もう引っ越してしまったかもしれない、気持ち悪がられて捨てられたかもしれない、あらゆる思いが交差して、学年末を迎えた私は、いつものように帰り道にポストを確認すると、見覚えのない筆跡で私の名前が書かれた封筒を手にした。

先輩からだった。

無機質な茶封筒に罫線だけが書かれた無地の便箋で、きっと先輩なりに丁寧に書かれたのであろう字が並んでいた。「拝啓」から始まり「敬具」で締められたその手紙は、義務教育を終える先輩らしい「大人びた」手紙だった。私のことを認識してくれていたこと、高校でも頑張りたいこと、先輩なりに短いながらも書き記され、最後に「P.S.」と小さく書かれていた。

制服のボタン、同封します。

コロン、と封筒から出てきた先輩のボタンは所々が汚れていて、3年間を物語っていた。私のブレザーにつけられたボタンと同じ模様なのに、私は手のひらに乗せられた金メッキのボタンを見つめ、そっと息を吐いた。気を使わせないようにお礼の手紙を出すこともしないまま、誰にも見つからないように、私はそのボタンを机の引き出しにしまい込んで、そうして先輩は引っ越しをした。

3年生になった私は、新学期、先輩からもらったボタンを自分のブレザーに付け替えた。未だ汚れが少ない私の制服に、先輩の少し汚れたボタンが付けられ、少々違和感が出るものの、決して校則違反はなるまいと、そのボタンを誇るように私は、3年生として中学校に通い出した。志望校が決まっていた私にとって、3年生の内申点は命よりも大事だった。定期テストや模試で一喜一憂しながら、緊張してどうしようもない時は、制服の先輩からもらったボタンを握りしめた。志望校の入試の時は、取れそうなくらいに握り、自分を鼓舞した。先輩が応援してくれるわけではないけど、何だか先輩からパワーをもらえるような気がしていた。

あれから10年以上が経つ。先輩からもらったボタンも、裏に落書きをした名札も、どこかに行ってしまった。それでも、私があの日あの時経験したことは、誰にも取られることのない思い出となった。先輩は何をしているだろうか。名前も分からなくなった今、元気で過ごしていることをただ、願っている。

春になるたびに思い出す、私の淡き一瞬。

さくらのあしあと

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