現代の僧侶とは
「僧にあらず、俗にあらず」
この言葉は、親鸞聖人の言葉です。お坊さんでもなく、それ以外の一般の人でもないということです。
これは親鸞聖人ご自身のことを表す言葉で、いわば「中途半端な存在」ということです。
悟り(苦しみや迷いから抜け出すこと)を得ようとしたけれども、お経に書いてあるような厳しい修行をしても悟れず、出家したけれども、出家する前(在家)のような生活もまた恋しい。そんな中途半端な存在です、ということ。
これは親鸞聖人だけのことを指すことだけでなく、現代において「職業僧侶」と名乗っているすべてのお坊さんに言えることではないでしょうか?
いや、もしかしたら悟りを得ている人は存在するかもしれませんけど…
実は、私も浄土真宗の僧侶です。
仏教を伝えるということが仕事ですが、自分自身が「僧にあらず、俗にあらず」という存在で、いわば中途半端です。
悟りを目的としていながら、苦しみや迷い(煩悩)に自ら進んで足を踏み込んでいってしまいます。
「わかっちゃいるけどやめられない」
この言葉がふさわしいように思います。
それでも、中途半端は中途半端なりに在家(僧侶以外の人)の人の気持ちをわかることができます。
悟りを得たお坊さんは、在家の人からすれば、一流芸能人のような存在かもしれない。尊敬するけど近づきがたい、あの人のようになりたいけれども私には無理。
どこか他人事のようになってしまいますよね。
中途半端なお坊さんはどうでしょう。
スポーツが好きなお坊さん、
お酒が好きなお坊さん、
賭け事が好きなお坊さん、
家電が好きなお坊さん、
海外旅行が好きなお坊さん。
「あ、私と同じだ」という親近感がわきませんか?
お坊さんも同じなんです。みんなと一緒に迷っているんです。
私も、スポーツが好きです。
車が好きです。特にSUVが好きです。
家電が好きです。
お笑いが好きです。
好奇心旺盛な30代です笑
悩みや苦しみも抱えています。
夫婦間の悩み、お金の悩み、将来の悩み。
日々の生活の悩みなんかも数え切れないほどあります。
どうですか?少し親近感わきませんか?
「あ、私と同じだ」
そう思ってもらえると嬉しいです。
お坊さんは特別じゃありません。みんなと同じです。
だからみんなの悩みはお坊さんも抱える悩みであります。
そんな悩みから脱することはできるのか?
一緒に悩んで、考えていきませんか?
私はこれから、自分の悩みをこのnoteに記し、
みなさんと悩みを共有していきたいと思います。
わかりにくい仏教をわかりやすくお伝えできるようにがんばります!
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