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なぜ大人になるほど退屈で刺激が足りなくなるのか

こんにちは。

今日は「なぜ大人になるほど退屈で刺激が足りなくなるのか」というテーマについてお話したいと思います。

年を重ねるにつれて、日々退屈に感じたり「刺激が足りないなぁ」と、ふと思ったりすることはないでしょうか。

個人的には4〜5年おきに、数年前と比較した自分の感じ方について上記のような切なさを感じます。よく言われる話ですが、子供の頃に比べて大人になると退屈だよね、ということを身を以て体感するようになった、という訳ですね。

確かに、子供の頃はわからないことだらけで、触れるものすべてが初めてだったりするので、情報量が多すぎて毎日が刺激に溢れます。一方で、大人になると経験や知識によって予測可能な範囲が増えるので刺激不足になり、退屈さを感じてしまう、という理屈は何となく理解できますよね。

そしてそれは、子供の頃に比べて大人になると感情を前面に出さなくなることも同じ構造かもしれません。

感情は、予測が難しい状況でも直感を通じて正しい判断を手助けする仕組みだと思います。

未知なる情報量の圧倒的な多さに振り回された子供の頃は、笑う・泣く・怒る・悲しむなど感情の力を借りて無意識に判断をしていたとすると、大人になると多くのことが予測可能で理解できるようになるので感情の出番は減っていきます。

つまり、大人になると経験から予測可能なことが増えるので、新しい情報による刺激は少なく、感情が揺さぶられる機会も少なくなるために退屈になるのでは、という仮説です。

そうすると、大人になっても心の鮮度を保つためには、予測困難な状況に身を置き続けるしかない、ということになります。予測できること、予定調和なものを避けて、自分がどうなるかわからない環境に意図的に飛び込むことの有用性はココにあったりするのではないでしょうか。

以前は、感情に振り回される自分が嫌だと感じることも多かったですが、予測可能な範囲で生活しているとそんな自分にも飽きてきます。隣の芝生は青く見えるのかもしれませんが、今は感情的になれる人が羨ましいですし、自分もそうなりたいとさえ思ったりします。

最近感情が動いていないという方は、いつまでも心の鮮度を保つために、意図的に予測困難な環境に身を置いてみてはいかがでしょうか。

お読み頂いてありがとうございました。

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