柴犬の体を借りた俺
俺は、居眠りトラックに追突されて死んだ。
肉体は滅び、ぼんやりとした意識だけが空中をふらふらと漂っている。
この状態が一か月ほど続いた。そして俺は、なぜか意識だけが抜けている健康的な肉体を見つけた。
俺はその肉体の中に入ってみた。
生前と全く違う肉体だが、悪くない。
……生前の俺には、美咲という付き合っている彼女がいた。
別の肉体で彼女に会いに行っても、意識は俺自身のものだということは、理解してもらえないだろう。
それでも、傷ついた彼女を支えてやりたい。
俺はそう強く思った。
……その肉体というのは、捨てられていた柴犬の子犬のものだ。
俺は、美咲の家の前に何日も居座り続け、どうにかして彼女の気を引こうとした。
その努力が功を奏し、俺は美咲の目に留まり、一週間後には彼女の家で飼われることとなった。
ーー俺が死んで、美咲には悲しい思いをさせていたに違いない。これからは、ずっと一緒にいてやれるーー
それから二年ほど経ったある日、美咲と一緒に家にいると、インターホンが鳴った。こんなに夜遅くに誰かと思い、美咲と一緒に玄関まで行った。
ドアの先には、男がいた。
その男は家に入り、ドアを閉めると、美咲を抱きしめ、彼女にキスをした。
俺は、「やめろ!」と叫んだ。しかし、人間とは声帯の構造は違うため、言葉にならない。
俺の声は、二人にとってはただの雑音に過ぎなかった。
あれから、美咲と男は激しく愛を求め合った。
別室にいても、一定のリズムでギシギシと軋むベッドの音、二人の声や息遣いが、犬の耳ではよく聞こえる。
……所詮、犬と人間。人間同士のように心を深く通わせることはできない。そう理解した俺は、目を瞑った。
すると、漂っている意識が俺の目の前に現れた。俺は、その肉体の元々の持ち主なのだとなんとなく悟った。
「そろそろ返してもらってもいいかな」
その意識は俺に語りかけた。
「…………もう少しだけ、ほんの少しだけでもいい。この体、使わせてくれないか?」
自分でも、なぜそのようなことを言ったのかびっくりした。
持ち主に意識を返して仕舞えば、もうあの二人が愛し合うところを見なくても良いのに……。
俺は、その時、ようやく気づいた。美咲が誰を愛そうが、俺には美咲が必要だったことを。
ただ、美咲と一緒にいられただけで、俺は、生きていて良かったと心の底から思えたことを。
「残念ながら、無理なんだよ、ボクにもボクの人生、いや、犬生があるからね」
犬の意識は、俺にそう言い、俺の中に入っていった。自分の意識が消えていくのを感じた。でも、不思議と心地良かった。
***
「あ、タロが寝てるよ、可愛い」
「美咲は、タロが大好きなんだなぁ。僕といる時は、タロの話ばかりしてる」
「タロね。前に付き合ってた彼氏に似てるの。仕草とか雰囲気とか」
「え、あの死んじゃったっていう……」
「うん。私、たまぁにタロは、もしかしたら彼の生まれ変わりなんじゃないかって思うの」
美咲はそう言い、タロの頭を優しく撫でた。
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