2020/10/19読書メモ
『人が人を裁くという』小坂井敏晶④
少数派が陪審員全体に占める割合は同じでも、12人中の2人と、6人中の1人では少数派が置かれる心理状況がまったく違う。
ソロモン・アッシュの実験やミルグラムの実験(アイヒマン実験)から分かるのは、情報源が一つで、多様な意見を比較できなくなると、人は判断に多大な影響を受ける。明らかな誤りであっても、他の全員が一致して正しいと判断すると、それに抗して自らの意見を主張するのは難しい。
(スタンレー・ミルグラムの『服従の心理』やクリストファー・ブラウニングの『普通の人びと』が積読になっているので読まねばなあ。権力が民衆を従わせるために、言論統制とプロパガンダを行う理由。しかし、世の中に変革をもたらすのは少数派であって、表現の自由がなければ、長期的には停滞・衰退をもたらす。)
人間は真空状態で判断しない。組織構造や手続きなど外的条件によって評決が変化する意味を考える必要がある。
人間の自律性は、他者との情報交換の中で変遷し続ける動的な均衡状態として把握しなければならない。同じ考えが維持されるのは、外部からの影響がないためではなく、お互いに拮抗する影響力を行使され続けるからだ。
(福岡伸一氏の『動的平衡』で、「汝とは、汝の食べた物そのものである」という諺が紹介されているが、情報の場合は、自分が影響力を行使する側にもなりうる、ということは意識しないといけないかもしれない。)
自然科学の世界で正しいとされるのは、理論が導く実験結果が事実に合致するからではない。科学の成果が信じられるのは、事実が生み出される手続が信頼されるからだ。
裁判においても事実が分からない以上、どのような裁判形式ならば国民の信頼を得られるか、社会秩序が安定するかが肝心。
(人間には真実など何一つ知ることはできず、ただ信じているだけ、ということなのかな。身も蓋もない話だが。)
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