私はかなり変わってるピアノの先生かもしれません
もともと小学校、中学校の教員をしながら、演奏活動を28年やってきたので、すでにそこから、かなり変わっている先生ではあります。
さらに、大学卒業後はヨーロッパの方か、ヨーロッパで活動していたピアニストにレッスンを受けてきたので、さらに日本的レッスンをあまり知りません。
そんな私が1番よかったと思うことは、ただただピアノの演奏が好きだったということ。
あまり、出身大学やコンクールにとらわれない外国の先生方のおかげで、
音楽をする本質的な素晴らしさを大事にできたこと。
そうでなければ、
教員しながらピアノを続けられてなかったと思います。
本来芸術というものは、人間性を表すものだから、年を重ねるごとにその味わいや哲学が、お客様とともに共有して愉しめるものと思います。
子どもの幼さが素朴な表現となり、心打つことも、思春期の複雑さが高揚感を出すこともあります。
うちの生徒さん、
みんなプロにはなりません。
音大には行きません。
練習嫌いで、譜読みが面倒。
だけど、受験までやめません。
バイエル程度の終了で、ツェルニー30番、やってません。
でも、シューベルトやショパンのエチュード、ソナチネを弾いてます。
普通は、許さないでしょう。
それは無理というでしょう。
私は言いません。
ほんとにやりたいか確認して、何年もかかるかもしれないけど、
無理ではありません。
やるかやらないかは、自分で決めてもらいます。
ただ、発表会なら、期限は決めていきます。
ゆっくりでもいいんです。
表現できる速さで弾くことの方が、速くても表現できないよりいいのです。
弾けないところのテクニックはサポートするので、弾けるようになります。
発表会で、ごちゃごちゃになって恥ずかしいのは生徒だけど、
それまで最高に努力したなら、意外に満足するのです。
だって、プロにならないなら、発表会で、
一生に弾ける曲は7.8曲
ならば好きに弾いたらいい。一生は一回だから。
問題は、練習するかしないか、期限に間に合うか、覚えられるか、間に合わなかったらどうするかを確認しておくこと。
それでも弾きたいなら、
その弾きたい気持ちはすごく大切な音楽の素質だと思います