愛とはなにか、そんなことを考える夜。
『憧れの相手が見る影もなく落ちぶれてしまったのを見て、「頼むから死んでくれ」と願うのが敬愛で「それでも生きてくれ」と願うのが執着だと思っていた。だから私は、遥川悠真に死んで欲しかった』-「私が大好きな小説家を殺すまで」斜線堂有紀
この書き出しを読んだ時、神様と恋人の違いはここかと納得したのだ。
私にはいわゆる「推し」という人がいた。
いた、というのは、今はもうそこまで神聖視していないからなのだけど(好きなのは好きです)、推しにこちらは歩み寄られると一気に冷めてしまうタイプで、そういうことがって距離を置いている。
まぁ、それは置いておいて。
「それでも生きてくれ」というのが執着であるならば「私のために生きてくれ」と思うのが恋で「どうか幸せに生きてくれ」と思うのが愛だと思う。
恋は自分勝手で、愛は相手を思うこと。
そう思って生きてきたのだけれど、どうにも叶わない恋ばかりをしてきて思うことは、諦められると思った瞬間には「恋」から「愛」に変わってるってこと。
片思いの相手に「幸せになってね」って言えた時、胸は締め付けられて息ができないほど苦しいけど、私はその人を愛すことができたのかもしれないと思う。
逆に、「私以外の女の人と仲良くしないで、お願いだからこっちを見て」と恋人でもないのに嫉妬の火を燃やしたときは、まだ恋であって愛ではない。
これは持論だけど、家族のように、友達のように、その人の幸せを祝えたらきっと愛なのです。
だから私は好きな人を愛せるように頑張ろうと思います。
胸が張り裂けそうなほどしんどいけど、私を好きなって欲しいってわがまま言っちゃうけど、まだまだこの気持ちは恋心だけど。
幸せを願える人でありたい。