人間関係において100%相手が悪いなんて思わないし、心に雨を降らせる人に傘を差し出せる人でありたい。
ネットで知り合った友人たちと遊びに行ったことがある。普段から仲良くしていて、よく話すし、会ったことのある人たちもいた。
彼らは私も含めて歳若く(全員20代前半だ)、ノリもいい。お酒の席で相手をいじることもあれば、反応見たさに意地悪をすることもあるし、相手を少し不快にさせることだって「盛り上がるからやっている」と言い切ってしまえる。
私は彼らのことが好きでオフ会に参加したし、彼らがそういう人たちであることも知っていた。
それでも、触れられたくないことや延々と続く同じ弄りに辟易として、飲めないお酒をちびちび飲んでいたのだ。
飲みすぎて酔っ払ってしまった1人が、過去の恋愛のことでいじられた。過去とは言っても彼の中で消化しきるには早すぎたのだろう、彼は普段笑って許すような弄りや詮索に不機嫌さをあらわにした。
彼は、自分の元恋人のことを詮索されてイライラしていた。
「喧嘩を売られたら買うから。ボコボコにするからな」
と何度も繰り返していた。
それは、彼なりの警鐘であったのだろうけど、盛り上げるためノリで冷やかしていた他の人にはただ自分を強く見せたいだけの子供に見えたという。
確かに飲み会の席では、嫌な空気が流れていた。雰囲気は確かに悪くなったし、楽しい空気でもなかった。そしてそれを、酔っ払ってしまった彼のせいにした。
私にはそれが許せなかった。
人を不快にさせておいて「彼が100%悪いと思っている」と言い切る人達が許せなかった。それでいて、彼を「許してあげるのが大人でしょ」という人達に憤りを感じた。
彼らにとってはノリだったのかもしれない。遊びで軽く聞いただけかもしれない。それでも確実に、彼は傷つけられていたし心に雨を降らせていた。
いじめとは、いじめられた方がいじめだと思ったら、いじめになる。
難しいけれどこれが事実なのだと思う。
相手のことを完全に理解することはできない。私は彼でも、彼らでもない。私は私だから、私の感情しか持ち得ない。
そんな中で、相手が100%悪いと断定できる根拠はなんなのだろうと思う。
確かに酔っ払って場の空気を悪くしたのは良くなかった。でも、彼が我慢して笑って嫌なことに耐えて得られた「楽しい空気」になんの意味があったのだろう。
そんなもの、彼にとっては「嫌な空気」でしかないというのに。
酔っ払った彼を連れて、私は彼と2人で夜道を散歩した。日付はとうに変わっていて、ふらふらの彼の酔いを覚ましながらとりとめのない話しをした。
彼は、ぽつぽつと話をはじめた。
「元カノのことを聞かれて嫌だった。ずっと前から嫌だったけど、言えずにいた。お酒を飲んで、喧嘩っ早い癖が出てしまった。素面なら、気にせずにいれたのに」
これは、彼の心の叫びだと思った。
お酒のせいにしないで、なんて言えなかった。アルコールはただ、彼の心と本音を引き摺り出しただけだ。
春の夜道は肌寒くて、腕を組んで人の通らない道をひたすらに歩いた。目的もなく、ただのんびりと彼の酔いがさめるまで。
私と彼の関係は、とても不思議なよい関係だ。腕を組んで歩いても、夜道を2人きりで散歩しても、恋愛感情というものはひとかけらも湧いてこない。それでいて、お互いがお互いに寄りかかっている。
1時間ほど歩いて酔いも覚めた彼を連れてカフェに入った。他のみんなは三次会で盛り上がっている中、私と彼はケーキをつつきながら話しをしていた。
彼は「しんどい」と言った。絞り出すような声だった。
私は彼が悪くないとは思っていない。それでも、彼は傷つけられた側であると思っている。
みんなと合流して、喧嘩のようになった人たちにその後のことを報告をした。そのときに「俺は彼が100%悪いと思っているし、俺らは何も悪くないから」とある人に言われたとき、ああこの人たちは自覚がないのだと思った。
傷つけた自覚が全くなくて、自分たちが不快になったことだけを子供のように主張している。
「相手はまだガキなんだから、俺らが大人になって許してやらないと」と言い出したとき、私はその男の胸ぐらを掴んで殴ってやりたい気持ちだった。なんなら、その日履いていた10㎝近いピンヒールで足に穴でも開けてやろうかと思ったほどだ。
自分が子供であることを自覚しない人ほど、面倒臭いことはないと思う。優しくて、寂しくて、抱きしめてほしくて泣いているような人に「悪いけど切り捨てるよ」なんて平然と言える人には、なりたくないと思った。
私はどちらの味方でもない。
ただ、理解して欲しかった。自分たちが彼のことを傷つけて「ノリでいじった」なんていきをとっくに超えていたことに。私も彼らに傷つけられたことがあるからこそ、気付いて欲しかった。
社会にはそんなことが溢れている。セクハラだって「そんな、ちょっといじっただけじゃん。笑って許せよ」みたいに終わらせてしまう人がいる。相手の傷を笑って、抉って、塩を塗って「ノリじゃんー!そんな怒るなんてノリ悪いわ」って言ってる人がたくさんいる。
そういう人にはなりたくない。
人の心の傷なんて見えないし、言わなければわからない。でも言ったところで「冗談じゃん」って済まされてしまうことも、ひどいと思う。
心から血を流して蹲って、最後の最後に警鐘を鳴らした彼に気付かなかったのなら、せめて彼を悪者にしないで欲しかった。
人間関係において100%相手が悪いなんてことはないと思っている。どこかで誰かを傷つけているし、誰かに傷つけられている。笑って見ないふりをして、傷ついてないふりをしているだけで、本当は血だらけなのだ。
せめて、そのことだけは知っていて欲しい。出来ることならば、心に雨が降る人に傘を差し出せる人が増えて欲しい。
ただ、それだけなのに。
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