愛って、なんだと思いますか。

 最近、恋人でもないのに毎晩電話をする相手がいる。特にその彼のことを恋愛感情を持って見たことはない。
 ただ、夜の静かな時間に他愛もない話しをしながら眠りにつく瞬間が、ひたすらに幸福だ。

 「寝落ち通話」という言葉を知ったのは、半年ほど前のことだった。はじめてその言葉を聞いた時「そんな通話をして何になるんだろう」と思った。年下の男の子は「女の人の落ち着いた声を聞くと眠れる」と言う。私も彼の寝落ちに一度だけ付き合ったことがあったが、何を話せばいいのか分からず、ほとんど黙っていた。
 その後、最近になるまで寝落ち通話をしたことはなかった。寝る前に通話をしていても「そろそろ寝るね、おやすみ」と切ってしまっていた。
 それなのに、2週間ほど前から寝落ち通話の相手ができてしまった。

 彼は、私のとても良い友人で、優しくて少し我儘なひとだ。知り合って1年ほどしかたっていないけれど、心の少し深い場所までみせることができる。
 最初はこんなつもりではなかった。一緒にゲームをして、お酒を飲んで、楽しく話しをする仲間だった。

 いつからか、私は彼と一緒になることが多くなった。いや、原因ははっきりしているのだ。私と彼が所属している仲良しグループの中で、少しごたごたしたことがあって、私と彼はそのときグループ内でたったふたり同じスタンスをとっていた。

 私は彼のことが好きだ。
 恋愛対象ではなく、けれども友人としてよりももっと深く好きだ。毎晩中身のない話しを続けられるし、毎朝「おはよう」と挨拶を重ねることが幸福だとすら思う。彼が心穏やかに日々を過ごせればいいのにと思い、毎日のように「お疲れ様」とメッセージを送ることが習慣となりつつある。
 私はもともと誰かとまめに連絡をとる方ではない。LINEもメールも電話も、あまりしたがらないほうだ。それなのに、中身のない話しを延々と続けられることに幸福感を覚えられるほどに、彼とのやりとりは心地いい。

 繰り返しになるが、私は彼に恋愛感情を抱いてはいない。そして彼もおそらく、私に恋愛感情を抱いていない。

 愛と恋は違うものなのだと以前書いた気がする。
 私は本当にそう思っていて、これは「愛」であっても「恋」ではないと思っている。私は彼に恋をしてはいないが、愛してはいるのだ。

 もちろん、友人としての愛だ。けれども、今まで仲良くしてきた友人の誰よりも一緒にいて心地いいと思う。
 静かな声で彼は話しをする。私に意地悪だってしてくるし、甘えてもくる。今まで付き合ってきた恋人の話しや、仕事中に面白かったエピソード、私が抱える叶わない恋についても全部話した。
 わいわいゲームをするのも楽しいし、電話をつなぎながら料理をしたり片付けをしたり。今までの私の常識では考えられなかったことを、彼としてきた。

 一人暮らしをはじめて3年目になる。
 一人であることを寂しいと思ったことなどなかったのに、最近になってふと寂しさを感じるようになった。
 電話をかけたい、と思うことすらある。

 こんなにも仲良くしているというのに、私から彼に他愛もない電話をかけたことは一度もない。きっとこれからもないのだと思う。
 私と彼は笑いながら「どちらかに恋人ができたらこの時間は終わりだね」と言う。本当にそうだと思う。
 私たちは、恋人よりももっと恋人のようなことをしている。「おはよう」も「おやすみ」も「いってらっしゃい」も「おつかれ」も毎日のように言っている。まるで家族のように、当たり前のように言葉を交わしている。

 私と彼はとある配信アプリで出会って、よく一緒に話しをしながら配信をしている。お互いに掃除をしていたり、ゲームをしていたり、寝そべってのんびりしていたり。まるでリビングに二人でいるような感覚で、話したいときに話しをして、コメントがあれば読んで、面白いことがあれば報告をする。
 誰だったか忘れたが、リスナーさんに「まるで一緒に住んでいるようですね」「恋人みたいですね」「夫婦のようですね」と言われたことがある。 

 私と彼は友人で、それを理解しない人もいる。それはきっと、私が女で彼が男だからという理由で、男女の友情なんてものは存在しないと言い切る人たちの考えだ。
 確かに、私と彼は恋人よりも恋人らしいことをしている。てらいもなく「好きだよ」と言い合える。ときめきも何もないけれど、本当に大事に思っている。

 どちらかに恋人ができたら終わる関係だ。二人ともそれを理解している。私たちに恋愛感情が欠片もなくとも、私と彼は外からみたら恋人に近いのだから。

 最近、愛とはなんだろうと思うことがある。私自身は、愛を「誰かのためを思って、自分を犠牲にしてでも行動できること」と考えている。私は、彼のために多くのことを我慢できると思うし、彼の幸福のためにできる限り手を貸したい。彼に恋人ができたら、自分のことのように喜べると思う。

 我が子のように愛している、というには私は若く経験が足りない。弟のように愛しているというには、私はひとりっ子だ。
 少し落ち込んだ声を聞いたら心配になる。きっと私は何をすることもできないのに。それでも、手を差し伸べたくなる。

 寝落ち通話の話しに戻るが、私は彼と同じ時間を共有できていることに幸福感を覚えている。寝息とか、寝起きの声とか、眠気のせいで漏れ出る本音とか、そんなことを恥ずかしいと思うこともなく、ただ一緒にいるという感覚が心地いい。
 彼が寝てしまった後に微かに聞こえる寝息に、よかったと思えることが嬉しい。

 こんなにも穏やかな時間を過ごせていることが嬉しくて、たまらなく幸福だ。毎朝、電話の向こうでなる目覚まし時計の音すら愛おしい。

 永遠に続く関係ではない。私たちは恋人ではないし、知り合って1年の関係なのだから。
 それでも今は、この穏やかな幸福に浸っていたい。願わくば、彼もこの時間を幸福と捉えてくれていれば嬉しい。それだけだ。

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