思考の海
山川咲さんの個展をご縁あって手伝うことになった。close contact 濃厚接触
咲さんは憧れの人。眩しい人。
でも咲さんの言葉はいつも読むのがこわかった。
自分が突っつかれて痛いところをいつも優しく突いてくる。自分が心の奥で、認識してたけど、見ないようにしてきた傷口をそっと開いてくる感じがして、咲さんの言葉はいつも泣けてきてこわかった。でも、向き合わなきゃいけないって思うから、咲さんが紡ぐ言葉を読む。
今回キャストをやらせて頂いて、憧れの咲さんを間近で見て、夢かと思うくらい素敵なメンバーと時間を過ごして、家に帰ってきて、泣けてきた。
それは、手伝えて楽しかった〜めちゃくちゃ幸せでその余韻〜とかじゃなくて
悩み苦しみながらも自分の人生を愛している人たちと一緒に過ごして、わたしの心の奥底の小さなわたしが、わたしもこんな風に生きたいんだよ、自分の人生を自分で認めてあげたいんだよって叫んでる気がして、でもその自分をどうしてあげたらいいか分からなくて虚無感に襲われて泣けてくる。
一方で、キャストのメンバーたちが、会ったばかりの私の人生を気にかけてくれて、大丈夫 と、ぎゅっと抱きしめてくれた暖かさを思い出して泣けてくる。
わたし この2日間 泣きたいって思ってたんだなって気づいた。
そしてここまで打ちながら、2日キャストをさせてもらっただけなのに、こんなドラマチックで複雑な気持ちにさせる、山川咲という人間のパワーを改めて感じている。(五味さんの名言)
今回の展示で 思考の海 というエリアがあった。
わたしはキャストとしてそこにいる時間が長くて、座ったり立ちすくんだりする人たちの後ろ姿をずっと見ていた。
どこまでいっても人は結局、孤独だ と改めて思う。
それは決して悲観的な意味ではなくて
相手と会話するときの自分は、その相手との関係性の中での自分であって
どれだけ心を許した相手にさらけ出したつもりでも、それはその人に向けたさらけ出し方で
このノートを書いてる自分も、読んでくれるかもわからない誰か用の自分だ。
評価されたい、認められたい、好きになってもらいたい
いつの間にかそんなことが軸になって生きてしまって、そんなの自分じゃないって分かっているのに、そんなことを軸に生きてきたから、それが全てだったから、他人からどう思われてるかばかりが気になって、自分をおざなりにしてきてしまって、どうしたらいいかわからない、情けない、悲しい、悔しい
人として愛し愛されることはあっても、自分の人生を愛することができるのは自分だけしかいないのに。
自分てなんだろう?
なんのために生まれてきたのだろう?
死んでいなくなることってどういうことだろう?
思考の海に吸い込まれるように考えてた。
思えば、crazyweddingも、うまれる。の個展も、今回のclose contactも、何かを提供されるのではなくて、問いかけてくる。言葉によって、アートによって、空間によって、自然と自問自答をせざるを得なくなる。目を背けたくなるほど、痛いほど。
咲さんと並んで写真を撮りたかったけど、まだ私は横に並べないって思って撮れなかった。
自分の人生と向き合うことから逃げずに、自分を抱きしめることができたら。
いつか咲さんのことを抱きしめたいです
咲さん、英行さん、山根さん、キャストの皆、ご来場くださった皆様、あのエキシビジョンを創り上げた全ての方々に
ありがとう。