観劇記録『少女都市からの呼び声』
Space早稲田にて唐十郎『少女都市からの呼び声』を観劇して参りました。昨年度の第一弾『腰巻お仙~振袖火事の巻~』に続く企画の公演です。唐十郎世界の独特な比喩・夢幻・血と性の大奔流に心身を浸す快感を存分に味わいました。
手術室で煙草に火をつけようとする看護婦(この仕草が超イイのです見て)、患者の腹から出てくる黒髪、夢の中の妹に会いにゆく・・・。この異質さによってさっきまで現実世界であったはずの「劇場」がじわじわとお芝居の世界に変わっていく、その感覚が大好きです、観劇の醍醐味です。
物語は手術室から。開腹手術を受けている患者・田口は現実からゆらりと離脱して夢の世界へ。蛹の中の命に例えられた、未分化の妹・雪子。現実の世界で肉体を育てることができなかった雪子は、しかし田口の身体の中で・夢の世界で、ガラス工場勤めの娘として生きています。無機のガラス体に改造された雪子は、産まれることも死ぬこともできなくなりました。兄は彼女に自身の血肉を捧げ、現実世界へ帰ろうと、共に生まれなおそうとしますが・・・。
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熱気と情熱が渦巻く満席の初日で圧倒されてきました。わたしはチケットを確保したので安心ですが、前売り完売の回もあります。ぜひお早めにご予約をっ。
以下はわたしの観劇感想です。自分の気持ちを整理する目的もあるので少し文章が散らかっています。脳内で勝手に変容していることもあるかもしれません。ネタバレを含みますのでお気をつけください。
▼ガラスの子宮にガラスのスペルマは着床するか
雪子はフィアンセかつガラス工場上司のドクターフランケ醜態氏の手術によりガラスの身体を得ました。割れるまで生きる命、触れられても知覚できない肌、そしてガラスの子宮。
既に男のお手付きを被った(胸に軍手を付けた衣装の)肉体の女たちを汚らわしく扱うフランケ氏。対する雪子のガラスの身体は物体だけど生命で、有限だけど永遠で、美しく清潔な憧れ・理想の象徴。
雪子を巡る物語の中に時折挿入されるシーンがあります。フランケの過去の仲間・上司である連隊の男たち。はたまたスーツを着た男・老人たち。彼らはある場所を夢見て目指しています。しかしたどり着けない。オテナの塔と呼ばれたそれは一体何でしょうか。
戦死を覚悟する連隊、過去の栄光を思いながらうわごとを繰り返す老人。彼らは輪廻転生を目指した。胎内回帰を目指した(男って帰るのが好きね、みたいなことを雪子が言う)のだと思いました。そのための場所がオテナの塔という象徴。フランケ氏の夢。それが雪子のガラス体。
雪子の手術シーンがあります。手術台の上で開脚していると思われる雪子の身体にビー玉が流し込まれてゆきます。メスシリンダーに込められたそれは透明なチューブを通って雪子の身体へと消えていきます。それはもしかすると無機の身体に施す性交で、ビー玉になったあらゆる命はオテナの塔へ回帰してゆくということなのかもしれません。フランケはそうすることで助けたかったのでしょうか。かつての戦友たちを。でもそのために女の肉体を消費して殺して無機化することを私は悪だと主張したいです。
役目を終えた魂が、誰かが誰かであったことをそぎ落とし、冷たく無垢なビー玉になる世界なのかな。だけどやはりガラスの子宮にガラスの子は宿らないのです。ガラスとガラスがぶつかり合うと割れてしまう、ただただ一体となるべく喰らうのみ。ただただ辿り着けない塔を目指すのみ。ラムネが弾けて光の泡とビー玉が舞うのは、まるで過食させられたそれらが着床できずに零れていくようで。
昨年第一弾の『腰巻お仙』圧倒的な肉の子宮を持つお仙との対比がものっすごいなと感じました。同じ演出さん、同じ女優さんで昨年観たからこそ楽しめるこのコントラスト!
▼雪子は田口で、田口は雪子
少女都市の世界はいわば手術を受け昏睡状態の田口が見ている夢の中です。現実世界においても腹の中の黒髪という状態で共生し、その女性という属性は田口の男友達である有沢への恋心という形で発芽しかけています。子宮をもちたかったのは雪子であり田口、雪子を救うことで助かるのは有沢への想いでもある。雪子を忘れた田口はどんな人間に変容するのか。
田口は雪子である・を念頭に二人の会話をもう一度聞くと、まったく別の感想が湧きそうです。フランケ氏も田口の一部と見做すというやり方もありでしょうか。
▼わたしの少女都市
生まれることができなかった命、生きつくした命、それらはきっとガラスを隔てた向こう、夢の世界で私たちを呼んでいる。エーテルが実体をもつとすればきっとそれはガラスの身体が一番近いのだろうなあ、と思わせる美しさがありました。
物語の終盤、兄妹を見詰めるガラスの向こうの存在たちの中に見覚えのある割烹着姿がありました。また昨年度第一弾の話になりますが、腰巻お仙に登場する西口おつたさんです(他にもお仙の世界からやってきているみたいですよ)。少女都市は全ての命を内包している。
本を読んでいるとその場所や人物のイメージが頭の中で膨らんでいきますし、好きな演目の忘れられないシーンが記憶の中でよく再生されます。好きな架空のキャラクターはたくさんの“設定”をもって存在しています。そんな風に、この世界に身体をもたない数多の存在は、今も私の内部から私を見ている。なんてことを考えながらあのシーンを思い出しています。だから叶わなかった夢とか、今まで見てきた物語の人物とか、千秋楽を観てもう同じ時間が返ってこない公演とか、ずっと以前に図書館で借りてタイトルを忘れた本とか、昔ノートに書いた未完小説の世界とか(ぎゃあ)、そういったものは全部きっとわたしの中で生きているのだと感じました。指切断するし雪子が切ないしで悲鳴をあげたくなるような展開もある作品ですが、受肉していない架空世界の存在の証明、それを永遠とする希望をもてたので、観劇できてとても良かったです。誰もが忘れてしまってもあの時あの空間あの人は確かに存在したんだよ。
凄く素敵な公演でした。いつか時間が経ってこの日の感情をうまく思い出せなくなっても、二度と会えない登場人物たちを恋しく思って泣きたくなっても、私の命が割れるまで一生消えない世界があるみたいなので大丈夫です。でも忘れてしまわないようにまた観劇に行きます。少女都市からの呼び声。12月6日公演の感想でございました。
蛇足。まとめたかったけど私の脳が及ばず書けなかった項目
・クトゥルフの呼び声との親和性。有識者に聞いてみよう。
・『はてしない物語』を読み返したくなったこと。
・ロートレアモン伯爵、ボリス・ヴィアン様、マヤコフスキー、唐十郎さん。シュールとSFと日常について。唐さん作品をもっと観&読みたいです。
・遺骨のダイヤモンド化。魂の無機化に近い?全然関係ないけどこれはかの有名な××氏の遺骨から作ったダイヤモンドです!とか、私をミネラルショーで売る日とか、くるかな。
蛇足でした。