人に頼れない経営者がうつ病になった。(2)
前回はこちら。
前回までのあらすじ
コロナ等諸々あり、会社の売り上げが落ちた。
打開策に今までより規模の大きい案件を受注したら…
ようは、ブラックな案件で僕は病んでいった。
とうとう動けなくなる。
決まらない仕様、短くなる納期。
稼働時間だけは増え、収入は増えない。
なんなら、ヘルプで頼んだ人員の経費だけが出ていく。
病気は再発する。
そんな状況が3ヶ月ほど続いたある日。
僕はPCの前に座っても、何もできなくなった。
ネットサーフィンもゲームも当然仕事も。
確かその日はPCの前に座り続け、ボーっとタバコを吸い、お酒を飲む。
それだけで一日が終わったはず。
話は逸れるが、僕には家族がいる。
妻と子供。
当時、妻はパートを始めたばかりで、朝から夕方まで外に出ていた。
子供は幼稚園で朝はバスが迎えにくる。帰りも送りにくる。
朝起きて妻と子を送りだし、普通ならPCの前に座り、夕方の子供の帰宅まで延々と仕事をしていた。
はずだった。
動けなくなってからは、あたかも普通の顔をして、普段通りのつもりで妻と子供を送りだし、義務感のようにPCの前に座り…
何もできない。
あれは今でも不思議だ。
やらなければと焦る気持ちも責任感もある。
しかし、動けないのだ。
妻に話した
もうこの案件は限界だ。
やめたい。
そう妻に話したのはいつだったか。
冬から始まった案件が夏になろうとしている時だったと思う。
「もうちょっと頑張ってみよう」
そう言われ、絶望したのを覚えている。
そして言われるまま継続した。
先方との話し合い
稼働もできず、成果も出せなくなった僕。
そもそも仕様が延々と決まらない案件。
これはさすがに無理だと判断まではできた。
先方と話しあった。
今思えば、僕は消耗していた。正常な判断もできなかった。
先方に有利な形で案件を離脱した。
交渉する気力も、先方の瑕疵部分を指摘する気力もなかったのだ。
見えない不安と見える不安
そうして案件を離脱し、残ったのは赤字。
案件を途中で投げるのは初めて。
見えない不安とは、今後の案件に対して。
見える不安とは、お金(収入)に対して。
まずは、見える不安を解消できないか、と既にまともでは無い思考で考え始めた僕。
投資詐欺?
僕には経営者仲間と言うか知人と言うか。
そういった人間が何人かいる。
実際問題、知人友人と正しく言えるのはその内の何人だろうか。
しかし、そういった人間がいた。
その中の一人から、所謂先端技術関連の投資案件がある。
噛んでみないか?と誘われた。
見える不安=お金と戦っていた僕は、その話(営業トーク)を聞き、
保有資産(株、仮想通貨)を崩し、投資をしたのだ。
それだけリターンが大きかったのだ。(話の上では)
実際にはその頃にはその投資先はなりふり構っておらず、資金を集めたかったのだ。
詐欺だったのか、なんとかしようとしたのか、真意はわからない。
ただ、結果は破綻だった。
連絡は代理人からのメールだった。
資産も失ったら…
この頃の思考はよく覚えていない。
とりあえず、暮らせるだけの案件をなんとか拾い、なんとかこなす。
その収入で家計を入れる。
足りなければ消費者金融で借金をする。
正しく自転車操業だったと思う。
いや、回ってすらいなかった。
資産を失った事を家族には言えなかった。
今日はここまで。
続きはまた今度。
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