第2話 輝く赤い軌跡
1.プロローグ
「第1話 鏡に向かって自問自答」にもありますが、私は書くことが大好きです。
日記や記録や感想の他に、小説を書くこともあります。約7年前から物語を編みはじめ、これまでたくさんの話を書いてきました。
2.在りし日の青春
はじめて筆をとったのは、春か夏だったような気がします。当時はスマホもパソコンも持っていなかったので、紙に書き殴っていました。
そこから数年変わらぬ熱量で書き続けました。しかしある時、ふと、書けなくなりました。原因はわかりません。本当に何の前触れもなく、私は何も書けなくなりました。
「終わった」
と思いました。私の創造性は枯れ果て、数年間続いた私の〈青春〉は幕を閉じたのだ、と思いました。何を見ても、何を聞いても、何をどう感じても、それが創作に活かされることのない日々の、なんと味気ないことか。しかし、書きたいという欲は留まるところを知らず、とにかく文字を書いてみるも、それは物語と呼べるものではありませんでした。
私は、順風満帆に物語をかいてきたわけではありません。私の文字書きとしての軌跡は、(大袈裟かもしれませんが)魂を削るような、血が滲んだような、そういうものでした。けれども、それが何より愛しかった。輝く赤い軌跡は、他の誰でもない私のためのものでした。
書けなくなってから何日も、何週間も、何ヶ月もたったある日。私は、自分が書けなくても普通に生活していることに改めて気付きました。「ああ、例え書けなくても生活はできるのか」と思いました。私にとって書くことはイコールで生きることと結びついています。何よりも愛着と執着を抱く、なくてはならないライフワーク。けれども、普通に生きる分には創作をしなくても良い、という当たり前のことにハッとしました。
3.なんちゃって起死回生
書けなくなり、所謂スランプに陥ってから、2年が過ぎた頃のことです。そのスランプの間も、無理に書こうとしては意味もなくパソコンを開き、ネタ帳を睨みつける日々でした。
ある日、からっぽになりました。「書きたい!書かねば!」と前のめりに力が入っていた状態から、急に0になりました。時間をかけて、〈書けない〉というひとつの終わりをまざまざと見せつけられた気分でした。
パソコンを開くことも、ネタ帳を睨むことも、昔に書いた原稿を読むこともやめました。
書けない(書かない)まま、なんてことない日々が過ぎていきました。淡々とした、けれども穏やかな日々を送りました。<書く>という作業から離れていました。
それから数多の夜が過ぎ朝を迎え、手がかじかむような寒さが厳しくなってきたある日、
SS(ショートショート)をひとつ出来上がりました。
それが、泣きそうになるくらい嬉しかった。大袈裟だと笑われるかもしれませんが、私にとってはそれほどまでに幸せなことでした。
「まだ書けるんだ!」と、起死回生の喜びを嚙み締めました。
今考えれば、書くことと距離を置くことによって、力が抜けて、楽にものを考えられるようになったのも要因のひとつだったと思います。「書きたいものを書ける時に書きたいように書こう」と思えはじめたのもこの頃です。
そして。今も昔ほどにコンスタントに書けているわけではありませんが、「全く書けない!」と嘆くことはなくなりました。書いたり書けなくなったりしながら、なんとか生きています。おかげさまで元気です。
4.エピローグ
ここまでの文章で何を伝えられるかはわかりませんが、私が言いたかったのはひとつです。「今何か創作に行き詰っていても、何かの拍子にまた作れるようになる。だから焦らず、創作したい気持ちを大切にしてあげてね」ということです。
私は、小説を書いて発表する以外の表現方法が欲しいと常々思っていました。物語が書けない時も、何か文章を発表する場を探していました。そこで見つけたのがnoteです。まだまだ不慣れなので、わからないことだらけですが、これから楽しみながら続けていければと思います。
ここまで、私の長~い文章を読んでくださってありがとうございます。本当に嬉しいです。
またね。