朝日新聞の高橋純子編集委員「エビデンス?ねーよそんなもん。」
朝日新聞の高橋純子編集委員は自身の書籍『仕方ない帝国』で以下のように述べている。
嫌われたり読み捨てられたりしながら、読者の思考をちょっとでも揺さぶりたい。はい。きれいごとですよ、きれいごと。だけど、そこを曲げたら私のなかで何かが終わる。何かは何か。何かとしかいいようがない、何か。エビデンス?ねーよそんなもん。
文脈から考えるに、「エビデンス?ねーよそんなもん」の「エビデンス」は「そこを曲げたら私のなかで何かが終わる」という主張へのエビデンスという意味なのだろう。
高橋純子編集委員は日刊ゲンダイのインタビューで<欺瞞を正面から論破するのは難しい。だから「なんか嫌だ」「どっか気持ち悪い」などといった自分のモヤモヤした感情をなんとか言葉にして読者に伝えないと、権力に対峙したことにならないんじゃないかと思うんです>と述べている。
だが、<欺瞞を正面から論破するのは難しい>と捉えるのは新聞記者(ジャーナリスト)としてはまずい。何故ならジャーナリストの社会的役割とは「事実を何よりも追求し、権力者が欺瞞に陥っている場合は、エビデンスを市民に提示することによってその欺瞞を明らかにすること」だからである。
ジャーナリストの仕事は自分の感情を文章に書くことではなく、読み手に現実社会の実態を伝えていくことなのだ。
参考記事:https://agora-web.jp/archives/2030260.html
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