六道慧の花暦 昭和の風景(2)
みなさま、お元気ですか? ご無事でしょうか。
気持ちが荒みがちなとき、なごむには昭和がいいかなと単純に思って始めました。一読して少しでも、ほっとしていただければ嬉しいです。
昭和30年代から40年代当時、小学校はすし詰め状態。一クラス、だいたい52、3人が普通でした。私のクラスは56人ぐらいだったかな。産めよ増やせよの時代でしたから、どこもギュウギュウで混み合っていましたね。あれは初夏の頃だったでしょうか。どうして、その子の家に遊びに行ったのかは、よく憶えていないのですが、夏休みの自由研究かなにかだったのかもしれません。
仮にK子さんとします。彼女の自宅は、和風の門を入ってすぐに石畳が続き、二階建ての家の玄関先には、驚くなかれ、ししおどしがありました!
え? ししおどし、ご存じない?
ほら、旅館や料亭の庭によくあるやつですよ、カコーンッと竹筒が、手水鉢(ちょうずばち)の上で動くやつ。いや、驚きましたね。
で、さらに驚いたのは、その一軒家が彼女とお姉さんが住む家だったことです! 意味、わからないでしょ、これだけでは。要するに子どもたちが住む家の通りを挟んだ向かい側に、ご両親が住む家、祖父母が住む家と、三軒もの家があるわけですよ、信じられないことに!
(上がししおどしです)
私が行ったときには、木製の立派な門から玄関先まで続く石畳に、水打ちされていまして、涼やかな風が吹いていたのを憶えています。お客様が来るとか言って、お手伝いさんが細やかな心遣いをしてくださったのかもしれませんね(彼女たち姉妹が住む家には、住み込みと思われるお手伝いさんがいました)。
さらにさらに驚くべきは、3時のおやつです。
それは、スライスしたイチゴを入れたゼリーとババロアが二重になった今まで見たこともないスイーツでした!
(こ、これは、なに?)
一般庶民だった私の驚きを、お察しください。自慢じゃありませんが、不二家のプリンが、うちでは奪い合いの、すごいご馳走でしたもの。
後日、またお招ばれしたときは、向かい側にある祖父母の家にも招かれました。ここがまた、なんと言いますか……。
和風庭園(もはや庭とは言えないレベル)にですね、日本列島改造論をぶちあげた田中角栄元総理のお屋敷を髣髴とさせる池がありまして、高そうな鯉が優雅に泳いでいましたっけ。
帰り際にいただいたお菓子は、京都あたりでしょうか。どんなものだったのかは、もはや思い出せませんが、とにかく高そうなものでした。
しばらく経ったとき、彼女の家が製紙会社を営んでいると知り、「やっぱ、うちみたいなブルーカラーは駄目だわ。これからはホワイトカラーだわ」なんていう誤った考えが生まれたのもこの頃ですねえ。
そんな考えを持ったことを恥じている今日この頃。昭和は遠くなりにけり、ですかねぇ?
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