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洗えば大丈夫

やっと一人になれた。

家に帰ったら来客の気配をできる限り消そう。自分以外の人に家に入られるたびに馬鹿みたいに傷ついてしまう。そのときは割と大丈夫なんだけど時間差で堪える。パーソナルスペースに入られるのが嫌ってのも絶対あるけど、その人のことが生理的に無理だってことの方が大きいのかもしれない。生理的に好きな人間が来たときは大丈夫だったから。その人間はまた連れ込みたい。私は生理的に好きな人間がえらく少ない。だからあと1ヶ月半ほどで24歳になるのに経験人数が4人なのだと思う。しかもそのうちの少なくとも1人は生理的に無理だった。これは完全に。服にそいつの匂いが付いていて臭くて臭くて急いで帰って急いで全部脱いで洗濯機の中にぶち込んだ。まあ洗えば大丈夫だ。大体大丈夫。もし今後やりたくない人にやられてしまうことがあったら(今まではない)そのときはこう唱えよう。洗えば大丈夫。大体洗えば大丈夫だから。人間は洗える。

洗える洗えないの話で言うと本は洗えない。だから古本が大丈夫になるのにはちょっと時間がかかった。最近は色んなことがかなり大丈夫になった。無理やり大丈夫だってことにしているのだ。生きていくために。古着は大丈夫。洗えるし。古本もまあ綺麗であるか絶版だったら大丈夫。人の隣じゃ全く寝れなかったが2回に1回は寝れるようになった。これからもっと寝れるようになるはずだ。大体人間なんてみんな誰かのお古なのだし本にしろ服にしろ人間が作ったものなのだから新品でも誰かの手垢がついている。と考えると綺麗なのは自然だけだ。私は潔癖ってすごく非合理なので好きじゃない。電車のつり革が掴めないのに缶ジュースは平気で飲めるとか論理的に考えたらおかしいのだ。(缶ジュースの口つけるところは絶対汚い)でもこれは私にとっての洗うって行為とほとんど同じで、実際に洗えているかが問題というよりは洗うというプロセスにある種の安心感を得ているのだといえよう。とにかくもう家に着くので私は洗います。洗うために洗います。

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