普通と優秀は二卵性双生児

「普通」と言われてあなたはどう感じますか?私は正直良い気はしません。普通とはいつ、どこにでもあるような、ありふれたものであることという意味です。ですがこれまでの人生である発見をしました。それは自分の普通と他人も普通は全く違うということです。私は1日3食食べるのが普通ですが、1日2食の人もいるでしょうし1日1食の人もいるでしょう。この時点で普通にズレが生じています。価値観とも言い換えることができるでしょう。私は、1着1万円以上の洋服は買いません。洋服なんて何を着るかより誰が着るかだと思っているからです。なので、1着1万円以上の服を購入することは私にとって普通ではありません。ですが1万円以上する服を購入する人は大勢いらっしゃるでしょう。何が言いたいかというと、人生において何を大事にするかで普通というものはいくらでも形を変えるということです。

 少し話が逸れてしまいました。今回の本題は「普通と優秀は二卵性双生児」であるということです。皆さん仕事・学校がある日は遅刻することなく通勤通学できていますか?友達や先生、同僚・上司に挨拶はできていますか?食事をする前に「いただきます」と言っていますか?何かしてもらったら「ありがとう」と言えていますか?「そんなの普通だろ」と思う方もいらっしゃるでしょう。大事なことなので声を大にして言いたいのですが、みなさんが普通だと思っていることができない方が大勢いらっしゃいます。えぇ!?って思いましたか?本当です。めちゃくちゃいます。iPhoneユーザーくらいいます。逆に、できていない方からするとできている方が羨ましく思います。本題にもある通りできていない方から見ると、できている方は「優秀」なわけです。なので当たり前のことを当たり前に行うことができる、皆さんのその「普通」にはものすごく価値があるわけです。皆さんが思っている「普通」は見る角度が変わると「優秀」に映るわけです。やっている事そのものは何も変わっていません。これに気づいてから少しだけ気持ちが軽くなった気がします。心の何処かで、いや、常に何か優れたものがほしい、特別でありたいと思っています。ですが、自分が優れているか否かは他者との比較が必要になります。やはり、優劣とは残酷ではっきりと数字やデータに現れます。いつの間にか自分の気持ち・感情の判断のベクトルが外に向いていました。ですがそのベクトルを自分に向けてあげることで、他者との比較をすることなく判断することができます。「他者と比べて」ではなく「自分がどうなのか」。他者との比較がものすごくしやすくなったこの時代に、いかに自分にベクトルを向けられるかが鍵だと思っています。おかげさまで私の双子はすっかり仲良くなりました。

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