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台湾大名旅・陳志強さんはすごい経営者になっていた

2024年10月21日。
台湾桃園国際空港の到着口を出たところで久しぶりにあった陳さんは会社の作業服。
総経理(社長)だからジャケット&パンツとかで澄ましているかと勝手に想像していた僕は少し驚いた。

空港の建物を出て車寄せへと歩きながら「台北の街、飛行機から見てどうでした?」と尋ねるので、ここぞとばかり
「やはりコンクリートづくりの建物が多くてやはり沖縄に似ていましたね」
と答えたら
「そーですか」
と、あまり興味なさそうな相槌が返ってきた。
僕の「やはり」が空転している。
ちょっと肩透かしを食った気持ち。
35年くらい前のちょっとした会話のお返しだから、まあ仕方ないか。

そこへ黒塗りのホンダオデッセイ(5人乗り・リムジン仕様)がスッと入ってきた。
今日はここから新竹へ行く。

事前に陳さんから
「どこか行きたいとこありますか」
「眞藤さんが台北にいる間は全部案内しますよ」
とありがたい言葉を、実はいただいていた。
僕からは
① 新竹へ行きたい。熊本にTSMCができたので、台湾でTSMCの事業所を中心として形成されているサイエンスパークを見てみたい。しかし新竹といえば半導体よりも、そもそもは米粉(ビーフン)の街だったはず。だから新竹でビーフン食べたい。
② 陳さんは総経理だから忙しいはず。無理のない範囲での案内でいいです。僕は時間があるとどこの国でも一人で街歩きするタイプなので。
と伝えていた。


それでさっそく桃園空港から新竹へクルマを走らせてくれたのだ。
といっても陳さんが運転しているのではない。
総経理にはおかかえの運転手さんがいる。
ショーファードリブンなのだ。
しっかりした服装の運転手さんが運転する黒塗りのクルマ。
その後部座席に、作業服姿の陳さんとTシャツに短パンで小太りの僕が座っているのである。
僕についていえばアホボン状態でほんと申し訳ない。

久しぶりの右側通行。高速道路の造りがアメリカっぽい。

クルマは結構な速さで高速道路をつっ走る。
新竹では、まず陳さんの会社の工場へ行くことになった。
新竹といえば日本ではTSMCが立地するサイエンスパークが有名。
40年ほど前にあらたに造成され始めた新しい工業地帯だ。
それ以前から新竹には工業製品輸出振興策による従来型の工業団地があり、その中にフジテック台湾の工場がある。

No. 12, Wenhua Rd, Hukou Township, Hsinchu County, 台湾 303
新竹工業区西区 富士達股份有限公司(フジテック台湾)
(画像は同社プレスリリースより)
新竹工業区の近くの街の風景 
世界最大の広告会社電通を築いた熊本出身の光永星郎が若いころ
従軍記者を辞めたあとに1895年から3年間ほど台湾総督府官吏として滞在した街でもある

下町っぽい、すこしゴミゴミした街を抜けて工場が立ち並ぶゾーンに入り、そのうちの一つの車寄せにオデッセイは止まった。
真新しいビル。
入り口を入ると広いホールが。
「これは私がつくったビルです」
ほーっすごいですねーといいながら見まわす。
広いホールの壁には会社のロゴ。そしてキャラクター。

…。
ふ、ふじてっくん?

「彼はテッキーです」
僕の心のつぶやきを見透かしたかのように陳さんが紹介してくれた。
名前はフジテックのテックに由来し、世界中のフジテック社員とその家族の皆さんから寄せられた約900点の応募の中から選ばれた。

フジテック台湾の工場。新しいビルの1階のエントランスから入ったところにあるホール

エレベーターに乗るとフロアに穴があいている。
穴があると指を突っ込むか覗いてみたくなるのは人の常。
なんぞ?と思いながら覗いてみるとテッキーが見上げていた。
「これは遊びです」
そらそうだろうなあ。

エレベーターの穴の下からテッキーが。エレベーターが昇ると遠ざかっていく。


最上階フロアに上がった。
エレベーターの扉が開くとそこは社員食堂だった。
「ここで社員の皆さんは食事を摂ります」
窓からは高速道路が見下ろせ、風景が綺麗だ。

ここちよい食堂に象徴されるように福利厚生にも力を入れているという。
台湾では政府の政策もあり、看護師さんをやとって社員の健康管理にも努めている。
従来型産業の工場として積極的に美しく健康的な環境を整えるのは、TSMCなどの高待遇(ただし結構ハードな仕事)に対抗できる労働環境や会社の魅力をつくるということ。
昇降機メーカーは従来型の産業のひとつに位置付けられる。
ものづくりだから技術力や応用力のある社員を雇用しないと事業がうまくいかない。
陳さんはそのための投資や職場づくりを続けて、自社を競争力あるポジションへと高めている。

新ビル最上階の食堂
食堂の壁に貼られている稟議書

食堂の壁には稟議の裁可状況が何枚も貼られていた。
一般社員に稟議書が開陳されているのには驚いた。

さらに。
このような文書による稟議のほかに、陳さんはしょっちゅうLINEを弄っている。部下からの小さな相談・稟議案件へのアプルーブ(裁可)はLINEのチャットで済ますのだそうだ。
熊本に来ている間も僕の中古のゴルフの助手席でLINEチャットをよく開いていた。1日に100件くらいきますと陳さんは教えてくれた。

スピーディーな判断と伝達、情報の共有が会社を成長させる。

きっとLINEでアプルーブを与えることによって仕事が回る、そういう会社の体制をつくりあげるということも、また大切なことなのだ。


新ビル1階はエレベーターの金属加工と組み立てライン

この新しいビルの1階は組み立て工場となっている。
きれいに整頓された構内。
造っているのはエレベーターの籠。
ここで造られたエレベーターは、台湾のほか中国大陸へも輸出される。
フジテック台湾で扱うエスカレーターは逆に上海のフジテックで造っていて、台湾に輸入し設置する。
台湾各地での施工と管理はフジテック台湾で行う。

陳さんは工場内を歩きながら出会う社員に声をかけていっていた。
もちろん僕には何を言っているかわからない。
中国語で話しているし(たぶん)。
台湾語を織り交ぜているかも(たぶん)。
わかるのは、いつもは台北のオフィスにいる陳さんとここの現場の若手社員がざっくばらんに話を交わしていることだ。
部署のへだてなくすみずみまで信頼関係がしっかりしているようだった。


最後に、コントロールルームを見せていただいた。
台湾内にあるすべての自社製品(エレベーター、エスカレーター)の稼働状態が一目でわかる。
異常が発生したら本社ですぐに把握して、各拠点の担当に連絡が飛ぶ。
顧客にとっては安心安全のシステムだ。

コントロールルーム

たとえば台北101がある再開発地区の新光三越にはフジテック台湾の担当者が常駐していて各種調整や異常の際の対応を行う。
再開発地区のエスカレーターの8割は、フジテック台湾の製品だという。
だが、三菱地所が手がけた臺北南山廣場(Taipei Nanshan Plaza)ビルだけはどうしても三菱のエスカレーターになってしまいましたと陳さんが説明してくれた。
ちょっぴり悔しそうだった。
台北101ビルに行く途中も三菱のビルを避けてわざわざ回り道して行くくらい、悔しがっていた。

新光三越のエスカレーター


陳さんは自社内の体制や処遇待遇での競合対応地盤づくりなどマネージメントに優れているだけではなかった。
台北101の周りのビルのエスカレーターの件でもわかるように、やり手のビジネスマンでもある。

2024月中盤には建築が進む台北の「富邦フィナンシャルホールディングス本社ビル」にダブルデッキエレベーターを含む26基のエレベーター、4基のエスカレーターの納品を決めた。

2024年秋には台北駅前で建設が進む注目のプロジェクト「台北ツインズ」に160基のエスカレーターの設置案件を決めた。

大切な入札には社員とともに陳さん自ら足を運び、そこで各所と最後まで連絡をとりながら入札額を決めていくという。
いわゆる陣頭指揮だ。

台北駅前で建設中の台北ツインズ(2024年10月24日撮影)
台北ツインズ完成予想図 フジテック株式会社プレスリリースより


ふだんの仕事ぶりは車内からの具申に際してアプルーブを即返すというスタイル。
組織としての意思決定と、組織の長としての意思決定の使い分け。
陳さん、すごいリーダーになっていた。


あした日本に帰るという夜。
陳さんと鯉の麻婆豆腐を食べに行った。
二人で食べるには量が多いということで、台北にあるオフィスの社員の方3名にお声がけされていた。
日本から赴任している役員の方、台湾人の中堅の方と若い方。

若い社員の方はここぞとばかりグレンリベット(15年ものだったような)を持ち込んでいた。
これは美味しいよね。
じっくり味わいところだ。
そう思ってたら目の前に小ぶりで細身の小さなグラスがトンと置かれた。
もちろん中国式の乾杯(かんぺい!)が始まる。
あの「飲みたい相手やみんなの杯を満たし『かんペーい』と勢いつけて二人あるいはみんなで飲み干す」というやつだ。

飲ませたいと思っているひと(この若手の方)と目を合わすと危ない。
合わさないようにしたけれど声をかけられたら仕方ない。
何度かやった。
ありがたいことだ。
だって言葉は通じないのにコミュニケーションを取ろうとしてくれてるんだぜ?

みんなで食べた鯉の麻婆豆腐
麻婆豆腐といいながら麻(しびれる)要素はなく、豆板醤主体の味付けのようだった

この席上でも陳さんは会話をリードしたり、周りが語るに任せたり、臨機応変に場を和ませる。
上下の区別なく、皆を楽しませる。
会社のチームワークそのままだ。
ありがたいことに態度を控えめにしていたら皆さんにも理解いただいたようで、カンペイの回数はそれほど多くなくてすんだ。
度が強い酒の連続飲みするとお腹が緩くなるんだ。

それでも宴が終わる時にグレンリベットは空になった、というか、あと紹興酒とか、ビールもしこたま飲んだ。


そして日本に帰る最終日。
陳さんが例によってショーファードリブンの黒塗りのホンダオデッセイで桃園空港まで送ってくれた。

車内で
「そういえば今回あひる、食べてないですよね」
という。
つぎ来たときに食べに行きましょうって。
もちろんまた来ますとも。

今回は陳さんの案内で、きれいな観光地やおいしい料理や滋味を感じる茶にも深い意味や歴史があることがわかった。
そこら辺の話は陳さん紹介編のあとに。次編からね。

初めての台湾旅はいろんな面があったけれど、陳さんのビジネスマン、チームリーダー、そして経営者としての面を見ることができたことは大きかった。

特に感じ入ったのは、TSMCによる採用市場の変化を従来型産業の質を高めつつ社内の環境をよくすることで乗り切り、会社を順調にまわしているという陳さんの経験と実績。
トップはトップとして構えているが、いざとなったら最前線に出ていくリーダーシップ。
なにより若い頃に日本に留学し日本企業のサラリーマン体験をしたうえで、長じて日系企業の経営者として国籍や出自が異なる社員をひとつのチームとしてまとめ上げる調整能力、そして知日派としての行動力。

このようなひとがTSMC進出にあたってさまざまに揺れる熊本の各企業への知恵袋となったりするといいなあ。
そう思いながら僕は空港へひたはしる黒塗りのショーファードリブンのホンダオデッセイ(5人乗りリムジン仕様)の後部座席で揺られていた。
Tシャツと短パンで。

(続く)

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眞藤 隆次
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