寂しさは依存と落ち着きの無さを招きやる気を奪い、想像力を破壊する

なんの脈絡もない検証と疑問メモ

疲れていて人への態度が無愛想になるか、
自分が没頭できず暇で人の態度を誤解するか、
でいったら上の方が自分は上のがマシなんですが、
親しい間柄、帰る場所では自然に笑顔が出来る場所であってほしい。
そして勿論余裕があるとき、余裕を自ら作って働きかけ、良い循環が出来たら良いものです。でもぷあーだと、これが負のスパイラル。
だから心が優しくなれる自分の好きを人生で大事にしよう。

始めるのは得意だが、終わらすのが苦手な弱さを、
人にたよって良い循環を作ることに利用しよう。

次に絵を描きたいと思うときのモチベーションは欲張りだ。
ストロークの心地よさと、今ほぼ出来てる時に、ここを直したらというイメージと、さらにはどこをどうしたら良いが分かると描きたくなる。

儒教国家の他人に礼儀として無関心を装ったり、家族同士の距離がうまく取れなかったり、裏表が激しく本音を言わなかったりする社会が
やる気と生産力を下げて、コミュニケーションを怠る結果を招き、更には孤独状態が常日頃からの交感神経優位の状態を招き・・
そして人同士の距離を開き、行き過ぎた場合、行き場を失った変態がいたり、なんとなく思ったことは皆さんあると思います。

これを具体的に打開する方法をいち大人として見つけて具体的に行動でしめしていかなきゃ。個人の最近の課題ではあるのですが、過程・具体的な行動を考えるのが大事。

個人的には感覚神経にアクセスする方法でアプローチしていきたいところ。
あの強い光を発するカンタンな報酬系がすぐに入る携帯から引き離すものとして。 すべてを準備しなくていいけど、その間に何が発火点となって引き離すのか? 
過去に強い思いを抱いた守りたいもののイメージ=愛着?
視覚だけでなく他の感覚で抱いた愛着が想像力となって ・・・ 寂しさを紛らわすための報酬系や簡単に得られる主に視覚に頼った快感を得るため目を使いすぎ現実離れする状況から救う。

そのために自発的にできる一手は本末転倒視覚以外の感覚を使った行動だけど・・考えが堂々巡りはじめた…

簡単なことを難しく考えてるけど、過去の経験から考えてみるとやっぱり自分が、社会が(願う対象は人によりけり)この先どうありたいかっていう理想像を持つこと・・・

そうするとまた「感覚を踏まえた過去の強い記憶」とは逆?になる?

色々な考え方を理解しようと思っていろいろ試したもしかしたら結果自分の中で何がベストかわからなくて強い理想像もしくは感覚を踏まえた過去の憧れ?が無いのかもしれない。(個人の話がさらに色濃くなります。)

いわゆるビジョンを見る想像力がない状態は強い執着欲求がない状態なのか?こんな不完全な世の中・自分なのに?

諦めている?でも、できることはかなり増やしたつもりで諦める意味がない、じゃあ諦めていない。(疲れている?)

強いほしいを 抱き続けるには? 表面的なことだけでない深く思考した専門的で実行的な事が 新しい「強い欲しい」をつながるのかもだから今は
思考と想像が途中で詰まってるのかもしれない。

だとしたら今渋っているステップを一個一個する事が賢明
そして視覚以外の感覚に働き掛けて引き出して。

だがやっぱり本音に戻ると、語りかけの、対面する、他の人がほしいという欲求。話題は問わない。

実際に話題は問わないけど対面するなんて言う状況は今多分まともな社会性をもつほど気軽にできないけど。

それが大切なんではないか?
それが私の"過去に強い思いを抱いた守りたいもののイメージ"なのでは?

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