🔴旅と対話
江戸時代を生きていた私の祖先は、おそらく参勤交代に反対して罰せられた誰かかもしれない。
そんなことをふと思った。地図も、道も、無い中で、ただ歩いて江戸まで行くってどんな価値観なんだろう。少し尖った、甘ったるい考えの私であれば、絶対に江戸まで行かない方法を考えていただろう。だから、私の祖先はそうであると断定的に感じた。
なんだか、悔しい。今では当たり前の便利なモノが全くない世界で生きていた人にできていたことが、今の便利な世界を生きる私にできないことが。
次の日、東海道53次に続く、「京街道」(東海道57次とも云うとか云わないとか)と呼ばれる道を歩くことにした。
この行動に目標は何も無い。江戸時代を生きた人たちは何を考えながらこの道を歩いたのか。ただそれだけが知りたかった。
この道の途中にも、東海道と同じく宿が今でも存在する。しかもその宿は、たくさんの車が通る道の隣、もしくはその隣くらいのとこに存在していた。
スマホを見なければ、この道を辿ることができない。スマホを見なくてもこの道を進むことができた江戸の人たちのサバイバル力の強さをとても羨ましく感じた。
私はどうだろう。地位、資産、名声、新しいもの、影響力といった「ないもの」に固執している節がある。これだけ便利であるのにも関わらず、さらに「ないもの」を求めるために「既にあるもの」に気づけない。脆弱すぎる。
この江戸の人達は何のために生きていたのか。何が幸せだったのか。答えは知る由もないが、今の私が欲している「ないもの」などはそもそも知らず、「あるもの」に目を向けることができていたのではないか。ああ、羨ましい。
既に持っている「家族」や「友人」、「君主」との”愛”。”生活”。”あるがままの自分”。それらに時間をかけることが重要だったのかもしれない。人生の目的が「ないもの」ではなく、そういった「あるもの」に向けられていたのかもしれない。そう感じた。
私の目標や目的まで結ばれた線は正しいのだろうか。そもそも繋がっているのだろうか。
必殺技であるが、『はみだしの人類学』を参考にする。
{イギリスの人類学者、インゴルドは著書『ラインズ』の中で、「線にはあらかじめ決まった始点と終点とを定規で結ぶような直線とどこに行くか決まっていないフリーハンドの曲線との2種類がある」と言っている。
直線は、目的を決めてそれに向かってまっすぐに進むような生き方であり、結果を重視する受験勉強やビジネスの世界にあてはまる。その目標を効率的に達成したいという姿勢になってくるのが見える。
これには落とし穴があり、目標以外のことを考えなくなり、なぜ私がそれをしているのかというそもそもの”問い”を排除する恐れがある。また、効率性ばかりを考えるためにその過程に起きる全てのことが余計なことになってしまう。
それに対し、曲線は、徒歩旅行に例えている。行き先に注意を払い、その途中で起きることをちゃんと観察しながら進んでいる。だから偶然の出来事に出会ってもそれを楽しむ余裕がある。
現代の資本主義社会においては、無意識に「直線」的な進み方になってしまっている可能性があり、そうであるからこそ、フリーハンドの曲線にこそ、人々が生き生きとした生命の動きを感じることも必要となるはずである。}
私も直線的な人生を歩み始めていることを痛感した。余計な「時間」を排除し、資本主義で言うところの「成功者=大勢の人を動かすことのできる人、資本を生み出すことができる人」を目指して突き進んでいる気がした。
確かに、最近曲線的な行動が少なくなっている。そして、この曲線は、「対話」にも含まれていることを感じた。
哲学を勉強している友人に、「対話」とは何かという問いを投げかけたことがある。
友人曰く、対話は、”旅”と似ている。旅というものは、最初からどこへ行くかを決めたものではなく、終わった後に最初の考えと違うものになるところに楽しさがある。つまり、対話というものも、「正解」を持たずに進め、話した後に「現時点での新たな、正解に近いもの」が生まれることを楽しむ姿勢が大切であると。
この対話の難しいところは、「時間」がかかること・相手のことを尊重する必要があること・大前提として自分の考えが「正解」だと思っている人が多いことである。
効率性を高めること、正解ばかり求められる環境であること、そのような環境が無意識的にインプットされているために、対話が無駄な・余計な時間となっているかもしれない。
より「曲線的に」、そして「対話」が必要なんだなとつくづく感じる。
そんなことを考えながら、大阪の京橋(高麗橋)から、守口宿、枚方宿、寺田屋、伏見、滋賀の大津宿まで約80kmの距離を歩いた。
このプチ参勤交代は、曲線か、はたまた直線か。ただ確実なのは、日が暮れた途中からは、ひたすらに大津駅から自宅の最寄駅までの終電ばかりを気にしていたのは間違いない。
そういった意味では結局は、敷かれたレールの上を直線的に行動していたのかもしれない。少なくとも江戸自体の人がしていた参勤交代では無いはずだ。
やはり、私の祖先は参勤交代をせずに罰せられた人かもしれず、ちょっぴり罪悪感を感じた。
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