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餃子作りに「整える」真髄を見るなり
なにかとものを作るのが好きなのに、料理を作ることはあまり好きになれない。
なぜだか「時間を取られている」という感覚になってしまい、作りながら早く終わらないかなーと思ってしまう。そんな私の姿を見て、旦那はよく「愛情がこもっていない!」と言う。作っているということ自体が愛だと思ってくれよ、と常々私は思っている。
そんな私が作るのが好きな料理がひとつある。
それが「餃子」。
無心で肉と野菜をこね、餃子を包むセット一式を食卓に持ってくる。そしてただ黙々と、餃子を包んでいく。餃子と向き合うだけの時間。
録画していた番組を流していることもあるけど、結局耳に入っていないことが多いので、最近は静かな部屋でただただ作業を続けるのみ。
包んだときの形はどうか、皮はぴたりと合わさっているか、残りの皮の枚数に対して餡の配分は合っているか。目の前の作業にのみ、意識が向く時間。自然と心が無になる感覚。
仕事の悩みも、抱えている漠然とした不安も、全て餃子の餡と一緒に包み隠す。
今やるべきことにだけ意識が向いているこの状態。これってタスクフォーカスなんじゃないか?と、ハイキュー!の一場面を思い出す。
〝タスクフォーカス〟
試合の最終的な結果や
審判のジャッジ
対戦相手の行動
それらは自分がコントロールできないもの
自分がコントロールできるのは
自分の思考と行動だ
タスクフォーカスとは自分ではコントロールできない外的要因から意識を外し、今すべきことに集中すること。私は「自分ではどうにもできない先のことや他人の視点に心を囚われても仕方がないので、自分のすべきことだけに目を向ける」と解釈している。これってとても大切な考えだなと思っている。
しかしこうやって改めて意味を見てみると、この場で使われている意味とは違うみたいだ。どちらかと言うと、今に目を向けた瞑想に近い状態かもしれない。
餃子を作ることで心が整う。
そんな発見のあった昼下がり。