トランスの子のプライバシーとは何か
トランスジェンダーである自分の子どもについて、noteに書いてある記事をnoteに勧められたので、ざっと読んで、親が子どものプライバシーを扱う倫理的な問題が気になった。
そこで、
「これを書くことに対して、お子さんの許諾は取れていますか? 自分の子どものことであっても、プライバシーに関する配慮は必須であると思います。」
とコメントしたが、
「K Phoenixさん
ご心配をいただきありがとうございます。子供のプライバシーおよび、安全確保は私の最優先事項です。ですので、少しでも安全への不安を感じるようになりましたら、note.およびブログは即座に閉鎖するつもりです。私がブログを始めた意図は、トランスジェンダーの子を持つ親との情報共有です。それが、子供たちの幸せな未来につながると願っているからです。ご忠告をいただきまして、ありがとうございました。」
と返信があった。
明らかにすれ違っているので、
「私が申しているのは、安全の問題ではありません。自分のことを自分の許諾なく親に書かれるのに反する権利が子にあると思います。私は親が自分のことを勝手に公開したら嫌ですが、それはトランスに関する知識や理解の普及とは、別の問題です。私が申しているのは、倫理的な問題です。」
と再び書いた。
伝わるだろうか。
子どものジェンダーアイデンティティは、変わりうる。それに、アイデンティティは自己主張のためのものであり、親に勝手に自分について主張される筋合いはない、と私は思う。親として情報共有したいなら、親である自分のことを書くのに照準すべきであろう。
こういう倫理的なボーダーは揺れ動く。地域によっても、アメリカ在住のようなので、チャイルドアビュースにならないのかも、要確認のように思う。日本は、こういうことに関して、本当にざるなんだけれど。
なお、私が他人のことを書く際には、極めて意識的にやってます。