じゃじゃ馬ならし(BDSMに関する覚書2024Nov11)

BDSM関連について書くのは久しぶりになのですが、Kinkとしては路頭に迷い気味になっていました。よくわからないんだけれど、星もカードも、リーディングはサブミッシブになることを一律に勧めてきます。理由は、従属側の気持ちや行動を理解するため、とか、オーセンティックだから、とか、パワーダイナミクス自体の理解のため、とか、最もらしい理由です。

しかし、どういう誰のどういうサブになるかが、極めて問題でした。

相手が同じような世代や年下だと、アタシはパワーボトム化して、サブ的ではなくなってしまいますし、多くのサブはそんなものだとも知ったし、自分はそういうサブにはなりたくなかった。私のキンク生活は、男性との関係においてのみ、またドミナントとしてのみ機能してきたので、女性のドミナントを探すのだと、私の抵抗が大きかった。加えて、私にとっては、女性は一般的にエモーショナルな度合いが高く、私のエモーショナルさも高まってしまいます。しかし、男性でも、そうなることがあることもわかった。

こういうことは、何回も書いてきたんですが、もともと、年上の、総体的に私より優れていることが分かりやすいカテゴリーで、本人もアタシとは張ってこないタイプが、一緒にいて一番楽だし、友だち付き合いでもなんでも人口比としても多かった。

それに意識的になり、ちょうど良い感じでBratを始めました。日本語にはない単語のようなんですが、アタシ的には、「じゃじゃ馬ならし」のじゃじゃ馬です。これは、私のトラウマケアにも、コミュニケーションスキルの向上にも物凄く良いようです。しかも自分でも驚きましたが、かなり向いています。テストだと傾向は0%だったのにも関わらず。

考えてみたら、私は、職業生活で、じゃじゃ馬であると同時にじゃじゃ馬ならしをやってきました。権威に楯突き、挑発し、しかし、下からの、また横からの激しい突き上げにも同時に対応してきた。今でもそうだと思います。

でも、総じて、あんまり意識化してやってきてなかったように思います。なので、そういう自分のやり方に意識的になり、意図的に出来るようにするのは、生きていくために必要なことなんでしょう。星もカードも極めて論理的なのが、私がスピリチュアルをエビデンスベースドで解いてみようとしている理由ですし、良い感じで、枝分かれしていた道が、デスティネーションに向かっているかもしれません。

今回はそんなところで。

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