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「道元禅師の誕生日」

 1月26日は、道元禅師の誕生日とされています。

 ちなみに、この誕生日は新暦によるもので、これを旧暦に換算すると、1月2日になるそうです。ただし、道元禅師のいくつかある伝記の中でも古いもの――たとえば『永平寺三祖行業記』などには、誕生の月日までは記されていません(生年は西暦で1200年であることが間接的に分かります)。

 1月は春です。春の花といえば古今、梅でありましょう。

 道元禅師は、その著『正法眼蔵』「梅花(華)」の巻において、師匠である如浄禅師の漢詩中の語「梅は早春に開く」(梅開早春)を引用した上で、「梅が開花するのに連れられるようにして、あらゆる春が速やかにやってくる」(梅開に帯せられて万春はやし)と語っておられます。

 この一文には、「春が来たから、梅が開花する」のではなく、「梅の開花が、春を連れてくる」という視点の提起があり、その視点が仏教的・禅的な自然観(ひいてはものの見方)であるということを示しておられると思います。これがまずポイントの一つです。

 そしてもう一つのポイントは、あくまでも私見ですが、「梅開」は「仏教的なものの見方」に喩えられていて、「仏教的なものの見方ができることは、そのまま一切を仏教的に見ることになる」とも教えてくださっているのではないかと思います。

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 ここ2、3年のあいだに、仏教書を執筆してくださった著者の方々(以下、先生方と記します)とのお別れがありました。わたくしは、これまで、編集の業務にかこつけて、先生方に「仏教的なものの見方とは何か」について幾度も質問し、先生方はそのたびに事例を挙げながら説明してくださいました。それらの先生方のご説明は、「説明して頂いた記憶」と併せて、大切な宝物です。

 道元禅師が修行先の宋(中国)から帰国された年に、師の如浄禅師は遷化(逝去)されています。たとえ如浄禅師が生きておられたとしても、そう簡単に再会しに行ける時代ではありません。

 如浄禅師が説示された言葉の数々を、道元禅師は大切にされ、『正法眼蔵』などには如浄禅師の説法の語がたくさん紹介されています。道元禅師は、如浄禅師の言葉を引用・紹介しながら、その言葉を「どのように捉え、表現し、実践していくか」と自らに徹底させていくことこそが、如浄禅師の教えに適う道だと考えておられたのではないか――そのように、わたくしは想像しています。

 いまのわたくしたちには、その道元禅師が残された著作があります。入手が容易なものや、適切な解説が付されたものもたくさんあります。道元禅師の誕生日をきっかけとして、その著作に接する機会にして頂けたら幸いです。

2025年1月24日

通 雲