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二枚の写真(還暦SODA、聞こえるきょうだい①)



いよいよ4月に入り、新年度ですね。

SODA(ソーダ、聞こえるきょうだい)の体験。今回は「二枚の写真」というタイトルで鈴木浩さん(還暦のSODA、兄の立場、妹がろう者)に書いていただきました。第1弾です。

年下のSODAや保護者、先生、周囲の大人の方々に役立つように「いろいろ『語りたい』気持ちがありますね」「家族が向き合う大事さを早く知ってもらえたら」という大切なメッセージをいただいています。

兄と妹

可愛い妹と「しっかりとした兄貴」1歳の時から60歳になった今も変わらない関係

まず、一枚目。4月生まれの妹は、このとき1歳でしょうか? この二人の表情をみてください。こんな頃から、私は、本当に妹を可愛がっていました。

それは、60歳になった今も変わりません。きょうだいと言っても、兄-妹という関係性は、はっきりと私たちの間にあると思います。

1968 か 9 年と思われます。 そして、撮影したのは、もちろん父です。この写真から、私たち家族の関係性がみとれると思うのです。私は、「しっかりした兄貴」として、このころからあゆみ始めるのです。

耳が聞こえない妹、両親の思い、だが50年後に、還暦SODAの聞こえる兄貴が思うこと

上野公園

二枚目の写真。これは上野公園です。よく見ると妹は補聴器をつけています。妹は補聴器をつけるのが嫌いでした。そりゃそうでしょう。ほとんど聞こえないのですから。この首を傾げたしぐさは、いかにも ろう者です。

家族で上野に出かけたのです。1972 年のことです。日中国交が回復し、上野にパンダがきたのです。国立博物館の中国展とあわせて、ものすごい人混みの中を見学行きました。

妹には、何も分からないのに。普通に育てたい、なるべくできることはしてやりたいという両親の思いがよく表れていると思います。撮影しているのは私です。父のペンタックスのカメ ラでパチリ。私は、小学校3年生。妹は、幼稚園かな。あるいは、聾学校の幼稚部に入園したころか? 妹は、一年だけ、近所の幼稚園に通い、年長から聾学校に入ったのです。

この写真に表現される家族の仲の良さ、協力、頑張りは、自分たちとしては、当然のこと と思っていたし、私も、小学校低学年ながら納得していました。しかし、そのことが、後々、 50年後に、大きなマイナスとなって、我々家族にのしかかってくるのです。

鈴木 浩(ゆたか) さんプロフィール

1963 年 横浜生まれ 妹は全聾。妹の配偶者も全聾。
1986 年 中央大学文学部史学科卒
同年より、横浜市立中学校の社会科教諭として勤務
4月より再任用となる。

共著『教室から学ぶ法教育』『教室から学ぶ法教育2』など

SODA、聞こえるきょうだいって?聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会

続きは♯還暦SODAからお読みください

お読みくださり、どうもありがとうございました。今後も不定期で連載させていただく予定です。続きは、♯還暦SODAからお読みください。

周囲にどなたか、この記事が役に立ちそうな方がいらっしゃいましたら、お伝えいただけますと嬉しいです。この記事を必要としてくださる方、届くべき方に届きますように!

追記:2024年9月現在は①~④まで掲載しています。

「きょうだい」がいつか辞書などにも載るコトバになりますように!!