大切な人に傷つけられた後にできた習慣
みなさん、こんにちは
日本はもう涼しくなったと聞きました。
いかがお過ごしてしょうか。
イギリスはもうすでに寒い日が続いており、
昨日の朝は車が凍結しておりました。
これから食べ物が美味しい季節が始まりますね;)
私は私生活で自分に集中すべき時期が来ていて、
しばらくブログが書く時間が取れずにいました。
今日やっとパワーアップした状態で復帰できてとても嬉しく思います。
さて、突然ですが
皆様には理想の死に方というものがありますか?
私にはずっと妄想してはニヤついていたシナリオがあります。
それは
見ず知らずの他人の子どもが車で轢かれそうな時に
人混みの中から私が車道に飛び出し
危機一髪で子どもを救い
「あなたが助かって私は嬉しい。。グフッ。。」と
最後の言葉を残してその場で息絶え
死後、あの人は私の子どもの命の恩人だとその子の両親から思われ続けるというものです。笑
この妄想は20年近く続いておりました😂
何それー、っていう方もおられるでしょう。 笑
今となっては私も別にそれが理想の死に方とは思いませんが
本当にこの妄想は私の希望の光で、
心を温めて幸せにしてくれるものでした。笑
実は私のこの妄想、
私が知らずに持っていたマインドのパターンが現れているものです。
それは何かというと
色々な局面で
やたら
私がなんとかしなければ!
という思いが発動するというもの。
相手の問題と自分の問題の境界線がわからずに
しゃしゃり出てしまうことが多かったのです。
思い返してみるとこの思考のパターンは、
子供時代に原因がありました。
子ども時代って、
怒られた時
親が病気になった時
親が悲しんでる時
親が辛そうにしている時に
よく理由がわかりませんよね。
私は、そういった場面で、ことあるごとに
私のせいだ、
私さえここに居なければよかったのに、
と思いこむ子どもでした。
だから子どもからの癖で
私が居てごめんなさい、
みんな私がいるせいで苦しいからちゃんと私が頑張って楽にしてあげなくてはいけないんだ、
と思っていました。
私は人を苦しめる存在
私は人を不快にさせる存在
だと思っていました。
なので、それとは逆の
周りを助けられる人
になろうと頑張っておりました。
言ってみれば、
私の死に方妄想は、私がなんとかしなければ!と思った先に
自己を犠牲して子どもの命を救うという、
居て良かった人になれる、最高のシナリオです。
私は人を苦しめる存在
私は人を不快にさせる存在 だと感じることが辛かったので
大人になってもずっと、
怒っている人や
疲れている人、
病気の人や
辛そうな人、
悲しんでいる人
が周りに居続けることが極端に不快でした。
でも、不快に思ってもいけないと思っていました。
心の奥底で私のせいかもと思っていたからです。
人が怒りそうな場面ではみずから何かお手伝いを率先したり
あえてヘラヘラした人を演じたり
場が和むように努力したり
色々なことをやっておりました。
みなさんはお分かりかと思いますが、
人の気分や病気はその人自身の領域の問題です。
私は自分の領域でないことに取り組んでいたので、
大抵はうまくいかずに落ち込んでいました。
私は家庭内暴力を経験して、DV経験者の女性に会うことが度々ありましたが、
その中で夫が暴力を振るったのは私のせいだと信じて疑わない人がたまにいました。
私もこの人達の一人でした。
本当に私のせいではなかったのだと納得するのに5年かかりました。
その5年間、何かしらのカウンセリングを受け続けていたにも関わらずです。
自分の領域が全く分かってなかったんですね。
子どもの頃って大切なお母さんからたくさん愛されたかったものですよね。
お母さんが辛そうだったり、悲しそうだったり、怒ってたら
とっても悲しい。
それが自分に向けられて、
八つ当たりのように大切なお母さんが子どもである私たちに怒ってきても
当時はお母さんのせいだとは思えなかったのではないでしょうか。
それに蓋をしてそんなことはないと否定する人が多いですが、
子どもってこんな私でごめんなさいって思いがちなものです。
あの時、お母さんはただ自分の問題で一杯一杯だっただけ。
私は自分のせいだと思い込んでしまったけれど、
単なる勘違いだったんだと
頭の理解だけでなく
腹落ちできれば今の考え方が変わりそうではありませんか。
あの時のお母さんの怒りは彼女に100%責任があったと
本当に理解したらどうなるでしょう。
今まで持っていた自分の思考の習慣が変わって
また違った思いが湧いてくるかもしれません。
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