プーさんから学ぶこと
こんにちは、梢です。
プーさんとは、
あのはちみつ大好きプーさんではなく、
仕事を辞めてプーさんをしている私の夫のことです
かれこれ、仕事を辞めて3週間くらいになるでしょうか
てな訳で、いつも家にいる彼の姿が私に教えてくれるもの
ただゲームに没頭する彼を見て「何かしたら?」と言いたい(笑)!
いま、何も問題はないはずなのに、見てる私が焦る!問題だと捉えたくなる!
そう、ぜーんぶ自分の中にあるものをごっそり見せられている
社会的、一般的な見方でいうと、パートナーがプーさんになったら、この感覚ってごもっともだと思う(笑)
彼自身が向き合っているものはちょっと脇に置いておいて、
今私が思うのは、
存在しているだけで充分なはずの私、あなた、命
「何かをしていなければならない」と、自分に必要以上に強いているんじゃないかということ
何にもしない、何にも期待しない、本当に自分を「存在するだけ」でオッケーにする、オフの時間ってみなさん作れていますか?
それは、物理的にも、精神的にも。
「外に問題を作り出し、解決し続けること」が、自分の存在意義を支える軸にすり替わっていませんか?
私たちは、循環するエネルギー
あなたと私、同じ雲の中でふわふわしていたのだけど、つぶつぶの水滴になって落ちていく。
落ちながら周りを見渡すと、大きい粒も小さい粒もいて、急に「私は私」「あなたはあなた」という意識が生まれる。
姿も行き場もそれぞれで、山に行く子もいれば街に行く子もいる。
途中で蒸発してる子もいる。
あの子はあーだな、この子はこーだな。と言いながら、落ちていく。
落ちた後も、別々のストーリーを展開しながら、海で出会い、すべてを共有し、あなたも私も初めっからひとつだったことをまた思い出す。そしてまた蒸発して登っていく。
このプロセスのどの部分を切り取っても、そこに優劣はなく、ただ循環しているという事実だけがある。
私たちは、ただ、あーだこーだ言いながら、落ちていくつぶつぶなんだ。
そして、川を流れる人たち、
地下に染み込む人たち、
空気中に浮遊する人たち、
やがてそれぞれの性質を共有するグループなんかもできたりして、海にたどり着くまで、一時を共に過ごす
そうやって循環している、ひとコマをやっている
ただ循環しているつぶつぶとしての私を、そんなつぶつぶのまんまオッケーして
深呼吸して1分でも10分でもいいから、目的も目標もない、なーんにも期待しない、「存在してるだけでオッケー」「循環してるだけ」のスイッチをポチッとして、
お茶でもすすってみようかと思う。
読んでくださってありがとうございます。
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