障害児育児やってます。(自閉症)
息子を育てるのはとてつもなく体力と精神力を削ぐ。
もはや修行のようなものである。
室内にいればやることがなくなり頭打ち状態で親が疲れる。
かと思い外出すれば見張っていなければ他者に迷惑をかけまくるのでこれまた疲れる。
結局何をしても『疲れる』のである。
健常児も一緒だよと言われるかもしれないが、
『それは違う』と声を大にして言いたい。
子供は子供同士で遊び、ママ達は談笑しスマホを見る余裕があるならもうその時点で違うのだ。
室内遊園地でマッサージチェアに座りながら漫画??
読めたことなど一度もない。
今8歳になる息子。
昔に比べたらだいぶラクになったけどもまだまだ目は話せない。
昔を振り返ると本当によく頑張ったな私。と思う。
公園に行けば順番が守れないし、おもちゃの正しい使い方も分からないので投げる。
狭い空間を走り回る、人のおもちゃを無断で使いまくる。
人との距離が分からないので異様に近づく。
人に興味があるわけではなく、その子のあそんでるおもちゃにだけ焦点が行く。まるでそこに人がいないかのような振る舞い。
近づかれた子は、息子に話しかけてくれたりするのだが息子ガン無視。全くその子の事を見ようともしない。
申し訳なくなって私がその子と話す遊ぶという構図が毎回だった。
(今でもそんな変わってないけど笑)
息子より小さな子がペラペラと流暢に話す様に、
すげーなぁ。こんなに話せるの?と感心するのとともに
他の子供と話す私にさえ興味を示さず、寝そべりおもちゃの車を目の横に近づけて楽しむザ・自閉症な息子を見ては何だか切なくなっていた。
家にいても息子にもいい影響はないだろうし、親も精神的に煮詰まるしと思い公園やら商業施設やら連れていくのだけれど結果以下のようになる。
公開処刑になる。
↓
私イライラする。
↓
息子に怒る
↓
伝わらず同じこと繰り返す息子
(公開処刑)
↓
怒り狂う私帰宅しようとする
↓
切り替えれない息子パニック
↓
引きずって帰宅
↓
何で私ばっかり・・・
連れて行かなきゃ良かった
↓
寝顔見て『ごめんね・・・』
↓
また土日来る
↓
最初に戻る。
私は健常児の育児をしたことがないので、普通が分からない。息子に障害があること故に過敏になりすぎているのではないかと思うことがある。
人に迷惑をかけてしまうから怒っているのか、自分が恥ずかしい思いをするから怒っているのか分からなくなってしまうことがある。
自分が恥ずかしい思いをするのが嫌だということは、私は息子の障がいを受け入れてるようにみえて受け入れてないのだろうか。
息子の存在が恥ずかしいと思っているのか。
などと考えだしたらキリがない。
考えすぎと言われればそうなのだろうが、
息子に障がいがあると分かった日から色々と考えることが多くなってしまったので仕方ない。
でも、とにかく疲弊するのだ。
それは間違いない。
もし無人島に住んでいたら、
息子の行動など全く気にしないだろう。
誰にも迷惑かけずに親も子ものびのび過ごせるだろう。
しかし、物理的に難しい。
障がいがある子が大声をだしたり暴れたりするので
田舎に移住する人が少なくないと聞く。
田舎=住みやすいは必ずしもそうでなく
衣食住の不便さに、田舎には田舎の人間関係がある
田舎住んで障がいのある子を育てていた人を
知っているが、祖父母が障がいのある子供への理解が出来ずに子供を外に出すなや甘やかしてるから治らないんだなどの言葉を浴びせられてきたらしい。
結局、人との関わり合いは田舎だろうが避けられない。
人の関りがとても重要になる。
小学校
放デイ
病院
様々なところで人に助けられて生きている事を実感する。
人との関わり合いなしには生きられないのだ。
うちは支援学校なので障がいに理解のある環境で学んでいる。放課後デイも専門なので同様だ。
しかし、その他一歩外に出れば障がいに理解のある場所ばかりではない。
うちは身体に不自由があるわけであはないのでパッと見で障がいがあるかどうかは分かりにくい。
まぁ、エコラリアや意味不明な動きをするので10分くらい一緒にいればおそらく気づくかとは思うが。
そうなると、大きい声を出したり走り回ったり
好きなものが買ってもらえないと床に寝たりすることは8歳の子供なら
普通はしないのだろう。そう普通はね。
何度言っても静かにしない息子に怒る私。
はたから見たら、あの子あんなに大きいのにとか
お母さんあんなに怒らなくても・・とか色々思われているんだろうなぁ
なんて視線を感じながら買い物をする。
そんな視線を向けてくる人にわざわざ
『うちの息子自閉症で何回言っても伝わらないんです、うんたらかんたら~』なんて言ったところでなぁ。
とも思いつつ言いたくなる時もあるのは事実。
お菓子が買ってもらえず泣きまくる息子に何度思ったことか
『こっちが泣きたいわ』
これも自閉症という障がいをもった息子を生んだ私の宿命なのかと自分を若干呪う笑
よく育児に悩む母親に対して
『無責任』
『自分が欲しくて産んだ子だろうが』
『子供は親を選べなくてかわいそう』
など辛辣な意見が見受けられることがある。
私も自分が子供を授かるまでは同じ考えだった。
しかし、自分が子供を授かり
その子供が障がいを持っているとなった瞬間
世界が変わった。
自分が思い描いていた世界とは全く違う方向に変わった。
まず、自分の子供に障がいがあるなんて微塵も思ってなかった。
妊娠しているときの私は五体満足で生まれてくれればいい。と
それだけを願っていた。
というか、内面に障がいを持って生まれてくることなんて1ミリも考えたことがなかった。
それは誰にでも確率的にはあることなのだがまさか自分がというホントにどこかよその国の出来事位に感じていたからだ。
他人事だったのだ。
友達ともし知的障害とかあったらどうするか?という話を生まれてくる前にしたことがあった。
その時私は
『まぁそれはそれで仕方ないよね、もう生まれちゃってるわけだし育てるしかないわな。』
と語った。なぜだか鮮明に覚えている。
その時の私はこんな話をしながらも
『まぁ、そんなことないだろうけど』
と思っていた。
そしたらまさかのあれよあれよと障がい発覚、知的障害も添えて。
生ハムメロンのアイスクリーム添えみたいな。
(そんなメニューあるかしらんけど)
おいおい神様、宝くじもあたらないのに何でそんなとこ当てるんだよ。
私何かしたか?結構まじめに生きてきたけど!!
まじで呪った。神様なんかおらんわ。と
障がいのある子を育てる親についてもよく厳しい意見をする人がいるが
身体の障がいならまだしも、内面的な障害に関しては産むまで分からない。
なので親も徐々に他と違うということを感じだし恐怖と不安の狭間で様々な葛藤をしている。
生まれる前に誰が自閉症だと思う?
誰が知的障害があるってわかるん。
親も寝耳に水状態なのだ。
精神的にも肉体的にも疲弊する育児をこなす中で、
毒を吐くくらいいじゃないか。
子供のケアをしてくれる場所は沢山あるが、それと同じくらい大事なのは
親のケアではないのか。特に母親の。
障がい児の育児は精神的にも肉体的にもキツイ。
とにかくキツイ。
病院や療育などで働くことを辞めざるを得なくなり
社会との接点を失ったりやりがいを失ったりするし、
今まで仲の良かった友達やママ友との距離も遠ざけてしまう。
人との集まりに参加するのが憂鬱になり、子供の事を話すのも話されるのもつらくなったりして孤立しやすい。
どこにも感情を吐き出せる場所がなくなり、
一日中子供といる生活、それもまた輪をかけてキツイ。
最悪の事態が起きた時に人はみんな、
『どこかに助けを求めれなかったのか』というが
助けを求めていたけど拾われなかった声もあるだろうし、助けを求めることさえもやめてしまった事もあるだろう。
そうなる前にどこかに負の感情を吐き出す場所があれば少しは違っていたのではないかと思ってしまう。
息子が3歳になるまでは割としんどいことが多かった。
言葉が通じない宇宙人状態。
言葉が通じない海外の人ならジェスチャーで意思疎通を図ろうとするだろうが、相手は意思疎通を必要としない宇宙人だったので本当に毎日がしんどかった。
しんどい・ツライという言葉をこの時点で何回使っただろうか笑
それほどまでに息子との生活はしんどい・ツライ事が多かった。
よく8年やってきたと思う。
母に『息子の母親があんたでよかった』と言われたことがある。
それは妹に子供が生まれた後くらいのことだった。
妹は初めての育児で神経質になっていた(最初は誰でもそうかなと思う)
『あの子は神経質だし性格的にメンタルもやられて育てられないだろうから。』
その時何ともいえない気持ちになった。
育てられないかもと思うことは何度もあったし、今でもたまに思う。
全部投げ出して旅にでも出てやろうかなーーーー(怒)とかね。
ただやるしかないのだ。育てるしかないのだ。
最初から今の私が出来上がったわけではないのだ。
希望と絶望を行ったり来たりして、いい意味で育児を諦めたからこそ今の私のスタイルがあるのだ。
まともに向き合っていたらメンタルやられると早い段階で気づいたからこそ今の私があるのだ。
障がい児育児をやるなんて思ってもみない人が大半だ。
発達障がいに関しては特にそうだ。
生まれて少し時間が経たないと分からないのだ。
まさに青天の霹靂。
これを読んでいるあなたがどういう境遇の方なのかは分からないが
へー、こういう人間もいるんだくらいに思ってもらえればと思う。
障がい児を育てる私の思いや、39歳の女の思うことなどつらつら書いていこうと思う。
誤字脱字上等。
何となくニュアンスで読み取っていただければと思う。
生きてるだけで100点。
では、また。