中華人民共和国の駐インド特命全権大使に新任者、なぜ今?
外交部や新華社からの公式発表はまだですが、中華人民共和国の駐インド特命全権大使が新任されたとの報道がでてます。情報ソースはCGTN(CCTV)とのことなので間違いないでしょう。
さてさて、これをどう読み解くのかというところです。
確かに下記ツィッタで防衛大の伊藤先生が「関係正常化」とおっしゃられるようにインドとの関係性について、北京中央としては適切に、良好に管理していきたいという大きな流れがあります。
チャイナ側にとっては、北京中央の正統性にかかわる(かつ水利権確保や安全保障上の要所を抑えるetc.などのリアルな問題もあり、絶対に引けない)対印領土紛争はあるものの、目下、対米対立やその他地域への外交資源投下を加速させる中で、無駄に対印関係を悪化エスカレーションさせたくないというのが本音です。平時の、マネージが出来るレベルに留めておきたいわけですね。
下記がチャイナ側の過去から一貫した対印スタンスで、領土紛争が実際に発生していても現場でマネージ出来ていると示しつつ、外交部から国防部(人民解放軍)含めて、徹底的に「ナンデモナイッスヨ」という態度を国内外に向けてとってきています。そんなプロパガンダを受けてチャイナ人民には、インドに対して「悪い人たち」のような感覚は情勢されていません(インド体制側のナショナリズムプロパガンダを受けたインド人民に醸成されている「中国人は悪い人たち」というものと逆構造です。過度に抑制的と過度に扇情的。)。他の領土領海紛争を抱えている地域との対応差異をみればコントラストがはっきりします。
日米まで関わる協議(三カ国首脳対談)をやったフィリピンに対しては、単に現実に発生している紛争現場の問題を超えて、政治的にも対立を煽っている状況がありますので、対インドと同じ時間軸での発生イベントとしての差異がはっきりします。
https://mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/pageit_000001_00511.html
下記リンクでは、チャイナ側が「フィリピン軍司令官との通話記録を公開するぞ」との脅しをした、という話にまでなっていて、水面下ではない表面の恫喝をやるのはチャイナらしくはないほどに、ビビッドな反応をみせています。昨今のチャイナは水面下はいつもながら強面ですが、表面的には合法ヤクザのような儀礼お作法にのっとった外交口撃をやるので、こういった露骨に粗野な脅しの外交態度はそれほど頻繁にみられるものではありません。
チャイナ側のインドに対する態度は一貫していて、対印領土紛争は今後も恒常的に抱えるもので仕方なし、かつ、関係を悪化させないようにエスカレーションを適切にマネージしたい、というものです。そしてこれは、中印関係(バイラテラル)から導き出された彼らの最適解ではなく、内政と対米対立(覇権奪取)を念頭にした全地球規模外交戦略から導き出された彼らの最適解になってます。すなわち、(少なくともインドのパワーが現状の範囲内である限りは)インド側の内政がどうなっても、チャイナの対印外交戦略に変更をもたらす要素にはあまりなっていません。常々、チャイナ側のインドに関するステートメントでも「内政不干渉」を語っています。(これは対印に限った話ではないですが。)
こうした背景から分析することには、特にインド人民党の勝利が予想される今回のインド総選挙というのは、チャイナ側の対印外交態度を大きく変化させるほどファクターにはならないはずです。仮に、インド人民党の対立主要野党であるインド国民会議派が勝利しそうだとしても、チャイナ側の対印外交指針に変化ないはずです。将来インドのパワーが相対的に極大化した場合には、チャイナの指針は変わり得ますが。
それで、今回新しく大使が任命されたことについては、インド総選挙というインド内政側の理由というよりも、チャイナ側の「内的準備が整った」というのが妥当に思えます。
まず、下記は中華人民共和国外交部のページです。前任の孫衛東の離任は2022年10月でした。新任引き継ぎがなされていないので「離任年月」は示されていません。
孫氏の離任挨拶からは、チャイナ側(特に外交部)の丁寧な対印外交姿勢が見え伝わります。イメージとしては別部門(人民解放軍)がガチンコで争っている「役」で、外交部がなんとかなんとかエスカレーションさせないように友好親善をはかるという「役」です。というわけで、大使の役目は相当にキツそうではあります。
で、離任タイミングは孫氏の離任挨拶にも表現されているように、ちょうど二十大(2022年10月)のときでした。このときは「秦剛問題」が浮上していませんでした。みなさん御存知の通り、秦剛がパージされてしまったのは2023年6月下旬からです。
チャイナの外事工作は、楊潔篪、王毅、秦剛というラインが固まり、楊潔篪引退とともに、王毅(外事工作トップ就任)、秦剛(数カ月後に外交部長就任)が決定されたタイミングだった頃です。
そこから半年経過し2023年中頃から「秦剛問題」が表面化します。この頃には人民解放軍内ロケット軍を種とした腐敗摘発で、李尚福ら多くの人民解放軍幹部がパージされていた頃です。今回のnoteでは本筋ではないので詳しく書きませんが、人民解放軍内の腐敗摘発と秦剛のパージは同時ではあったが、まったく別の要因でした。特に秦剛については紀律監察部門の怠慢が故に、チャイナにとっては「対外的にとても恥ずかしい」更迭劇となってしまったわけです。
いずれにしても、外交部長に就任した秦剛のパージタイミングと前後して、外交部上層部への紀律監察を強化したことは言うまでもありません。しかも、海外まで出張っていく外交官をかかえる外交部内の監察強化はそれなりに大仕事になります。習近平が抱える強力な腐敗摘発Gメンである中央巡視組でも海外まで出張っていくのは想定された組織ではありません。よって、外交部内に設置された紀律部門を強化するという流れでしか対応できないはずです。
秦剛事件以降、外交部内の人事と紀律監察体制の見直しに指導部はエネルギーを割いていたというのが僕の見立てです。
また、紀律監察の再再強化は他のセクター(特に人民解放軍内)にも及びますので、これが「三中全会」が半年以上も遅れて開催されることになった要因のひとつであるでしょう。
話をもどします。
チャイナ全体が、とくに北京中央上層部において、相当に激震が走っている紀律監察体制の立て直しに時間がかかっているときに、センシティブな二国間問題をかかえる国家であるインドについて、ちょうど交代時期が発生してしまっていた特命全権大使を2023年中頃に選任することは、非常に困難だったんだろうと思われます。
孫衛東は大使離任後、直後の2022年11月から外交部副部長に就任し、現在も副部長を継続しているので、孫氏個人には腐敗の兆候はなかったのでしょう。孫氏が現在も「落馬」していないことから、離任も正常であったし、デリーの大使館内にも腐敗分子は少なかったと判断されます。
https://newyork.fmprc.gov.cn/web/wjb_673085/zygy_673101/SWD/grjl_673109/
2024年5月現在、習近平総書記としては、人民解放軍の腐敗の温床とみなした戦略支援部隊が情報支援部隊に衣替えし、人的グリップを強めたところです。タイミングを同じくして、ようやくようやく遅れていた「三中全会」が7月に開催されると発表になりました。
習近平総書記として「内政が色々かたづいたので動き出しましょう」というモードになったようです。御大自らの欧州歴訪もその現れです。そうした一連の動きを経て、今回の徐飛洪が新任の対印友好役(駐インド特命全権大使)として選ばれた、とみています。