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佐藤可士和が僕をデザイナーに導いた|「佐藤可士和展」レポート-その②-

はじめに

2021年4月19日に国立新美術館で開催された「佐藤可士和展」を観てきました。(新型コロナの感染者数の影響で東京に緊急事態宣言が出て休館になったので、行っといてよかった)

佐藤可士和さんは、日本を代表するクリエイティブディレクターです。

セブンイレブンのプライベートブランドの全パッケージやユニクロのロゴなども有名です。手掛けた事例が皆さんにも身近なものが多く、その仕事を目にしたことがない人はなかなかいないと思います。

今や超売れっ子クリエイターとしてデザイン業界だけでなく、マーケティング業界の人にも多大な知名度があります。クリエイティブの力で自社をブランディングして欲しいという企業が後を絶たないことでしょう。

そんな佐藤可士和さんは、僕のデザイナー人生に多大な影響を与え続けています。僕がデザイナーを志した時の初心を留めておくため、noteを書きたいと思います。

■デザインを志したきっかけは佐藤可士和の"Smap"

僕は高校時代にデザイナーという今の職業を志しました。そのきっかけが佐藤可士和さんのSMAPの仕事です。

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引用:https://kashiwasato.com/

ADC (アートディレクターズクラブ)年鑑という、その年の優れた広告やデザインに与えられる賞の入選作品をまとめた本があります。進路を考え始めた高校時代、地元である富山の繁華街にある本屋でそのADC年鑑2001を見つけました。

書店内の隅っこにある美術書の狭いコーナーの中に真っ赤なハードケースに入ったゴシック体で題された分厚い本が目にとまりました。その本を開くと、巻頭にはグランプリ作品。それこそが佐藤可士和さんのSMAPの仕事でした。


■高校生だった僕がADC年鑑2001を見て感じたこと

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1. デザイナーという職業の存在を知る
広告と言えば、何となく企業がタレントを起用してTVコマーシャルを作っているイメージ。デザインと言えば、パリなどで活躍するファッションデザインのイメージが漠然とありました。
その中で「ビルの看板や駅のポスターやCMなどのビジュアルを考え、みんなの興味や関心を惹きつける仕事があるんだ」と初めて知る訳です。
2. デザイナーの仕事を知る
TVCMや新聞広告などのマスメディアだけじゃなく、自分が日常で目にするロゴ、商品パッケージやグッズ、CDジャケットもデザイナーによってデザインされているということも同時に知りました。
3. Smapのデザインがグランプリを受賞している事実を見る
巧みな広告アイデアやデザインが分厚い一冊の本に結集した中でも、この作品が1番に選ばれているということを目にして「これが良いんだ」という認知をしました。
4. グランプリを獲った人(佐藤可士和)を見る
スーツ姿ではなく、髪型や仕草も飄々とした写真。何か特別な才能がありそうな雰囲気でした。デザイナーは写真の写り方も一味違うなと感じました。
5. 全面赤い本を見る
この本は布張りのブックケースと表紙で全面赤でデザインされています。ケースや表紙のみならず本の小口まで赤で印刷されています。品揃えがイマイチな田舎の本屋の美術書コーナーに煌々と存在感を放ち、高校生の僕に本棚からピックアップさせ、カバーから本を出し、開かせました。

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ADC年鑑2001のブックデザインも佐藤可士和さんの仕事だと後から知りました。僕はこの人のデザインによってデザイナーという職業に出会ったということになります。やられた〜!

こうして僕は高三の夏から美大を目指していきました。富山の予備校でデッサンやクロッキー、色彩構成のトレーニングを行い美大を受験しましたが不合格。上京し立川で1浪し、実技を高め多摩美術大学に入学しました。

デザインを志す最初の動機
・自分もデザインを生み出す側の仕事がしたい
・みんなが何気なく使っていたり見たりしているものを手掛けたい
・それを友達や家族に自慢したい


■佐藤可士和世代

僕もデザインの仕事をしています。顧客の課題をヒアリングし、コンセプトをロゴに落とし込み、それらをWEBや印刷物やサインなどに展開する「ロゴファーストブランディング」を実践しています。

これは他ならぬ佐藤可士和さんの仕事に多大な影響を受けています。

例えるなら、ダウンタウンに憧れてお笑いの世界に入るそれと同じように佐藤可士和さんのデザインを見てデザインの世界に入りました。
僕自身、三浦知良(キング・カズ)に憧れてサッカーをやったり、Mr.Childrenに憧れてバンドをやったりしてきました。僕にとって憧れはモチベーションです。

僕と同世代のデザイナーは、良い影響か悪い影響かはともかく、間違いなく佐藤可士和さんが世に放ったものを見ながらデザインと向き合ってきているはずです。


さいごに

僕は佐藤可士和さんから直接話を聞いたことが大学時代に3回あります。
1度目は多摩美の学生時代に特別講義を聴いた時。その時にSMAPの仕事の話を聴きました。

2度目はSAMURAIのオフィスにアポなしで訪問した時。
友人と2人で青山のギャラリーにて自主制作のデザイン展を企画しました。その展示を佐藤可士和さんに見てもらいたくて、ダメもと・アポなしで神宮前(当時)のオフィスに押し掛けました(笑)。
訪問直前、外で友人と緊張を抑えるためタバコを2本吸ってから押し掛けました。エレベータから降りるとすぐにエントランスがあり、スカッと広く物の少ない洗練されたフローリングのオフィスでMacの前にご本人が座っていました。
急に部屋に入ってきた学生2名から「佐藤可士和さん、僕たちの展示に来てください!」と力作の招待DMを見せられ「行かないけどねw」と一蹴。当然ですね。でも、その場で少しだけ指導してくださいました。

「もっと文字とかちゃんとやんないとダメだよ。こことか、こことか。」

ほんの2、3分の出来事だったと思います。その時から僕自身、何気ない文字でも、配置・サイズ・書体に気を配ってデザインするようになりました。

3回目も多摩美の特別講義で。その時はUNIQLOやふじようちえんの仕事を紹介されていました。
講義終了後にご本人に「あの時、押し掛けた僕です!」

…と駆け寄る勇気はありませんでした(笑)。おしまい。

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引用:「佐藤可士和展 公式twitter」 https://twitter.com/kashiwasato2020


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