個人商店がなぜ消えてほしくないか
私の「まち暮らし」がハッピーなのは、間違いなく魚屋さんとお蕎麦屋さんのおかげだ。あとクリーニング屋さん。
「昔は商店街が賑わっていて、夕方なんか肩と肩がぶつかるくらいだったよ」と魚屋のおじさん。
ふたつのお店から学んだこと
・魚だけを、蕎麦だけを売っているのではない。モノを売りながら、まちでの関係を修復したり、つないだり、補完したり、発見させてくれたり、そういう無形なものがおまけについている。
・まちのお店は、売上のバランスを上手に取らなくてはならない。自分が一人勝ちしてしまうと、周りとの関係が悪くなるから、(=お客さんが来なくなるから)儲かり過ぎたら地域活動で還元したり、自分を損なわないレベルで、上手に利益を出すのではないかしら。
お客さんもお客さんで闇雲に「安くしてよ」とは言えないだろう。自分のところだって値切られたくないだろうから。今は、自分は高いお金もらいたい、でも人にはあげたくない。バランスがおかしい。でも売り手の顔が見えないから、そのアンバランスさに気が付かない。安く手に入れることは、誰かがお金を安くしかもらえなくなっているということ、だれかを損なっているということ。
周りがみんなそれぞれ関係する商売だったら。
やっぱり善を追求するしかない。よね?
資本主義が行き詰まっている!ってヤイヤイ言うけど、もしも、みんなが商売やっていたら、もしかしたらちゃんと資本主義でも回るんじゃないかな?
みんなで豊かにならないとつまらない。つまらないどころか逆に商売ができなくなる。一気に刈り取らない。そういうような、農業(ちゃんとした)にも通じるような商いの仕方があると思う。
まちに、まちを相手に商売をする人が増えると、まちの「通り」(循環?)を良くする方向に考えるだろう。
なんか、ようやく商売ってなんなのか、ちょっとわかってきたような気がする。
っつーか、すごく「わかったー!!!」って気がして書き始めたのに、さっぱり上手にまとまらなくて凹む。学者肌の人が書いた本でも探そ。
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