見出し画像

「大人」を10年経験して分かったこと

最近、「大人」の定義が18歳からに変わったが、私の時代では社会的に成人になるのは20歳からだった。
つまり、現在30歳の自分は「大人」を10年経験したことになる。

この10年を過ごして言えるのは、子供のころに見て感じていた大人の姿と、今の自分が知る大人の姿は大きく違うということ。実際のところ、期待していた大人の姿よりも現状ははるかに下回っていると言っていい。

今回は、そういった自分の想いや経験、また、あらゆる人との出会いの中で気づいた「大人」に関する2つのことを書いていく。

大多数は「大人のフリ」をしているだけ

子どもの頃見た大人は、どんな人も立派な人に見えた。
誰もがちゃんと毎日仕事をこなし、自立して責任感のある日々を過ごしているように見えた。
「自分なんて16時半に終わる学校ですら長くて嫌なのに、大人は夜ご飯の時間になるまで働いててすげぇなー」なんて感じていたと思う。

でも実際、社会に足を踏み出してみると、まず自分自身がそんな立派な大人になれないことに気づかされる。
四六時中ずっと集中して働いているわけでもないし、仕事もできるだけサボりたい。
子どもの頃感じていた「大人」像には程遠い出来だ。
だけど、その理想像に遠いからといって、社会で生き抜いていけないかと言われると、全くそんなことはない。

みんなしんどくても平気なフリして、頑張ってるフリして、特に子どもに見せる姿の時だけ、「大人」のフリをしているんだ。
だから立派に見えるし、大人になった今でも周りの人は立派に見える。

つまり、大人になるってそういう「フリをする」のがうまくなることなのかもしれない。

センスの良い大人なんて(ほぼ)いない

そして、もう一つ思うのが、自分も含めて生まれながらにものすごく「センス」の良い人なんて、まずいないということ。
(※中には天才的にすごい人ももちろんいるけど)
でも、周りから尊敬を集める人というのは必ず存在する
仕事ができるとか、お金持ちだとか、服がオシャレ、芸術的な感覚が優れているとか、軸は人それぞれだ。

では、そういう人たちは才能だけでそのポジションを獲得してきたのかというとそうではない。みんな時間をかけて知識を積み上げてきた結果、尊敬を集めるようになったのだ。
つまり、後天的に備わった能力だということ。
仮に「センス」と呼ぶものがあるとすれば、おそらく「どれだけ一つのことに没頭できるか」しかない。

何が言いたいのかというと、「才能だけで活躍している人なんて99.9%いない」ということ。
「自分はセンスがないから」といって、早々に目標や理想とする未来を諦めないほうがいい。
まさに私が今、齢30にして新たな知識をどんどん吸収し、理想を追い求められている実感があるからだ。
これからも継続してもっと知識を身につければ、自分の活躍できる世界は広がるだろうというのを10年の「大人」時間の中で感じている。

ただ、大人になって時間が経てば経つほど、自分の可能性は刻一刻と減っていくのも間違いない。
でも、20代後半になっても30代に入っても、まだまだできることはある。
子どもの頃感じていた「大人」像のような立派な人間でなくてもいいし、センスがなくてもいい。
とにかく勇気を出して継続して行動することが大事というのが、私が10年間「大人」を経験して感じたことであり、今後生きていく上でのテーマとしていきたいことだ。

「文章や言葉の面白さを知ってもらい、みんなの人生を奥深いものにしたい!」。そんな思いのもと、いろいろなことを発信しています。少しでも興味を持って下さった方は、フォローいただけると幸いです。