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#5 ポジティブとネガティブの概念
私はネガティブだ。
でもそんな自分になんの引け目もない。
私の中の「ポジティブとネガティブ」の概念。
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ポジティブ至上主義の世の中
よく「ほんとネガティブだね」「どうしてそんなにネガティブなの」と言われる。
正直、わたしが聞きたい。
むかしはなぜそうも周りがポジティブなのかわからなかったし、ポジティブに相当の劣等感を持っていた。自己嫌悪にもなった。
ポジティブはそんな自己嫌悪に陥ったネガティブに言う。
「めんどくさい」
「どう関わっていいかわからない」
「なぜそこまで考えすぎるのか理解できない」
そして、世の中はまるでポジティブであることが良いことで、ネガティブであることが悪いことのような空気を作り上げている。
よく見る、
「泣きたい時には泣けばいい」
「疲れた時は立ち止まってもいい」
といった言葉の数々は、優しい言葉であるようで、結局のところポジティブな人間が「時に」そうするからこそ美しく聞こえるものだ。
一ネガティブとして言うと、
『泣いても立ち止まっても、その後に求められているのは「元気になること」「笑顔になること」そして「なるべく早く立ち直り、また頑張ること」なのではないだろうか。』…なんて思ってしまう。
(※皮肉っぽいのは承知だが、一応言っておくとこれはポジティブ批判ではない。)
むかしは私もポジティブが理解できずあーだこーだ考えていたが、
ある時期から、自分のネガティブに対する劣等感も、ポジティブに対する壁もあまり感じなくなった。
気質と思考で分ける
そもそも、
ポジティブであるかネガティブであるかと、
それをポジティブあるいはネガティブに受け止めているかは別問題だ。
…と思うようになった。
今までは、
“ネガティブ”な自分は“だめだ”
と、
自己嫌悪になり、自己肯定感が低く、
自分に厳しく、自分を認めず生きてきた。
劣等感・周囲への僻みや虚栄心もあった。
しかしわたしの場合、自己肯定感の低さは家庭環境に原因があったとわかり、
・自分の心の奥底の声に耳を傾けること
・自分を愛してあげること
が必要だと気づいてから、自分自身への優しさと自分自身への理解を意識するようになった。
すると、次第に周囲への優しさと周囲への理解において少しずつ視野が広がる感覚を覚えた。
─自分にもう少し優しく、ありのままを認め、
多様性を理解し、個人を尊重する─
なんてきくと大げさに聞こえるが、「自分と他者の関わりにおいて、矛盾や否定を突きつけるのではなく、発見と興味を分かち合う」…そういう思考に変わり始めた。
だが、ここで大切なのは、
それで自己嫌悪や自己肯定感の低さが改善されたわけではない。ということだ。
先述のように、わたしの自己肯定感の低さは家庭環境にあり、これからも何年、何十年と向き合うものである。必然的に自己嫌悪とも付き合っていかなければならない。
言ってしまえば、ネガティブは
わたしそのもの、家庭環境をメインとして作り上げられたわたしというデフォルトなのだ。
つまり何が言いたいかというと、
わたしの自己肯定感の低さや自己嫌悪は気質であり、簡単には変化するようなものではなく、
そこに良いも悪いもない。ということだ。
そして、その自分自身への気質に対して肯定的・否定的どちらの思考をもつか。
それが健康的な心身づくりに大切なのではないだろうか。
“ネガティブ”な自分は“だめだ”
この言葉は、ネガティブ気質な自分をネガティブ思考(マイナス思考)で捉えた言葉。
しかし今の私は、
“ネガティブ”な自分を“認め、愛そう”
と、ネガティブ気質な自分をポジティブ(プラス思考)で受けとめている。
そう思うことで心の荷もおり、周囲に対してネガティブ(ありのまま)な自分で堂々と居ることができ、その姿勢に興味さえ抱いてもらえるようになった。
というのを踏まえると、
ついついネガティブな人は気質を否定された気持ちになったり、自身の気質を責めたりしがちだが、おそらくポジティブな人が嫌う「ネガティブ」というのは、ほとんどの場合思考のことを指しているのだろう。気質がネガティブでも、堂々としていればポジティブは面白がってくれることが多いのだ。
両者共にこの気質と思考の違いを認識していれば、誰1人悪気ないのに起こってしまったこの“不具合”に解決の糸口が見えるかもしれない。
気質に間違いなんてない
気質は
その人が生まれ持つもの、経験とともに深い根を張って形成されるもの、個性といってもいいかもしれない。そう簡単には変化しない。「である」ということ。
思考は
どう捉えるか、どう判断するか、意識的なもの、状況に応じて変化する。気質に比べると即効性のある変化。「する」ということ。
ネガティブ気質かポジティブ気質かに正誤は存在しない。どちらに属しているか、あるいはどちらに属している傾向があるか、それだけのこと。対等である。
大事なのは、自身と向き合い、しっかりと気質を認識し、受け入れること。
“だめだ”ではなく、“それでいい”と思えること。
(ただし、これはあくまで自分自身へ理解を示す行為であり、他者に理解を強要したり開き直ったりすることではない)
わたしは今でもいろんなことに気づいてしまうし、いちいち考え込んでしまうし、落ち込んでしまう。
でも、それでいい。それがわたし。
だからだめなのだ、と思ってしまうネガティブ思考の自分に引っ張られそうになりながら、意識してみる。
別にポジティブになりたいわけではない。
もしかしたらこの意識的な作業が徐々にわたしの自己肯定感を高め、いずれわたしをポジティブ気質にするかもしれない。
でもその時は、それでいい。それがわたし。
ネガティブに寄り添う
同じネガティブ(あるいはポジティブ)でも気質と思考では全く意味が異なる。
世の中には、まだまだポジティブとネガティブに優劣が存在するような空気が存在している。
でも、どうか意味を混同しないでほしい。特に気質を否定することは人格の否定に近い。
自分がネガティブ気質なのかポジティブ気質なのか、それをネガティブに捉えているのかポジティブに捉えているのか。
そして、自分の周りはどうか。
できる範囲で時折考えてみると、目の前の人へかける言葉がきっと変わってくる。はず。
「自分と他者の関わりにおいて、矛盾や否定を突きつけるのではなく、発見と興味を分かち合う」…そんな社会になるための、ちょっとしたわたしの概念。
最後にネガティブ気質のわたしから、自分のネガティブ気質をネガティブ思考で捉えて苦しんでいる人へ。
苦しい気持ち
辛い気持ち
寂しい気持ち、わかります。
考えすぎてしまうこと、自己嫌悪になってしまうこと、それでいいと思います。
あなたのその気質は、ポジティブ気質の人とはまた違った角度で物事を捉えたり、アイデアを生み出したり、誰かを助けたり、わたしも知らない何かに繋がっているはず。社会を構成する大切な要素のひとつ。
こんなちっぽけなわたしの言うことなんて説得力ないかもしれないけど、わたしが今のわたしであることが、過去のわたしと同じような境遇で悩む人たちのささやかな癒しになれたら。わたしもまだまだ修行中です。一緒に頑張っていきましょう(^ ^)
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(1ヶ月間下書きのまま考えに考えすぎて、今回は異常に長くなってしまったぁ…)
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