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居場所

この年齢になると、卒業した学校も全て元のままではなくなっている。私の通った幼稚園から短大まで、全て統合、移転、廃校のどれかに当てはまる。初めての就職先も既に建物が無い。その場に行き薄れている思い出を引き出したり新しい感情を上書きする事ももう難しいと思うと、胸がきゅうっとして少し寂しい気になる。

ブログサービスはいくつか試してみた事があるが、最も気に入っていたところはもう既に無い。
無くなっていくもの。もう取り返せないもの。寂しさを感じながら新しく言葉を紡ぐ事を選んだ場所は、楽しさはあれどなんだか気持ちが散らかった感じになってしまうので違和感も覚えてしまい、ちょうど多忙になった頃から書かなくなった。現実的に長い文を書く余裕も無かった。

しかし、心を言葉に出すことは個人的にはデトックスに似ていて、Twitterの140字は心のままに綴るにちょうど良い場所だったので心の調子に合わせて続けていた。かつて携帯電話が普及し始めた頃の、短文の投稿が載るか載らないかを楽しみに挑戦し続けた一筆芸。というコンテンツを少し思い出しながらただただ楽しむためにTwitterに居る。過去のコンテンツももう見ることすら叶わないが、一生ものの友人を得た今も大切な場所。

今年の春から、心に少し余裕が出来た。やりたいことは色々あるが、長い文章も書きたい自分に気付いてしまった。昨年の自分の経験も個人的な事ながら大きな経験値であった為纏めて残したい気持ちもある。そんな時にnote を知った。読みたいものが先にありきで登録したが、なんだか居心地が良さそうだな、書きやすそうだな、ただのおばちゃんが駄文を書き散らかすのは申し訳ない程度に素敵な場所だけれどちょっと私も居させてもらおうかな、と思った。少し軽めだけど多分このくらいすっと始めた方が日記として気負わなくて良いかもしれない。

見たいもの、読みたいもの、やりたいことを、少しずつ。ここには日常の小匙1杯分を。特別なものは何も持っていないけれど、残らないかもしれないものを言葉として残して、あとどのくらい訪れるかわからない今後の胸の痛い方のきゅうっとを減らしてみたいと思う。真面目な文章より、砕けたものが増えるかもしれないけれど。いや、増えるよね。うん。
そんな感じで、はじめまして、よろしくお願いいたします。

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