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令和5年春、新たな挑戦

この春、転職をした。

20代にして実に3度目の転職である。

これだけ短期間で3度もの転職をすることはおそらく常識的ではない。今後、同じ場所で着実に経験を積んだ体験をしていないことがネックとなる可能性も大いにあるだろう。しかし、今のところ後悔は一切していない。その理由は、転職のそれぞれには意図をもたせており、大枠その意図が達成されているからである。

今回はこれまでの転職を振り返りつつ、霧が晴れてきた今の姿にも触れていこうと思う。保育現場からどのようにキャリアを形成していくか思い悩んでいる保育仲間の背中を、少しでも押せたら幸いである。



私の転職歴

まず、私の転職歴は以下の通りである。

4年生大学を卒業後、私立幼稚園へ就職
私立幼稚園から公立保育所非常勤へ転職
公立保育所非常勤から私立保育所正規職員へ転職
私立保育所正規職員から外部サポートへ転職

順を追って文字に起こしていく。


1、幼稚園から公立保育所の有資格非常勤へ


一番初めに就職をした園は幼稚園であった。働き方の面ではブラック、ただし保育内容は長らく子ども主体の保育を貫いてきた都内の園である。ここへの就職を決めた理由はいくつもあったが、決定打となったのは「こうなりたい」と思えたベテランの保育者との出会いである。


大学4年の夏に園へ足を運んだ際、子どもにかけるアプローチの引き出しがあまりに多様で驚いた。子ども1人ひとりを理解していることがパッとみただけでわかるほど、それぞれへのかかわりが異なるのである。4週に渡って通わせていただいた母園への教育実習を終え、個人と集団の難しさを感じていた私には衝撃的であった。

そしてこの場所で、保育者生活がスタートした。

しかし数ヶ月後、心のゆとりがなくなるにつれ常に自分より子どもを優先することに違和感を覚えるようになっていった。今でこそ環境のせいにするのは逃げであることは理解できるが、当時は完璧主義的な考え方が抜けない中1人で担任をもち、平日夜も休日も返上して仕事をし、頭も身体も休まらない毎日を過ごしていたためにもう何かのせいにしないと心がもたないような状態であった。

唯一の同期と「どうやったら交通事故にあえるか」「どうやったら熱中症で倒れられるか」といった話を真剣にしていたのだから、今考えればほとんど鬱状態であったと思う。

とはいえ、幼稚園に勤める中で「乳児期の子どもの育ちーへの興味が広がってる感覚は確実にあった。この時期異業種への転職も考えていたが、保育を捨てきれない思いもあり、転職を決意する。

あまりに目まぐるしい日々であったため園見学にいくことも転職活動に時間を割くことも難しく、大学時代の恩師にも相談をして公立保育所の非常勤試験を受けることにした。公立といっても、非常勤は面接と小論文のみ。一般教養の試験はない。さらに週4日の勤務で書類業務は免除。また倍率もさほど高くなかったため当時の私にとっては最適な転職先であった。


公立園で実際に働いてみて、区の職員になりたいと思ったら公務員試験を受ける。そうでなければ私立園を探す。保育から離れたいと思ったら異業種を探す。この3択を描いて入職した。いわばこれからのキャリアを考え直すための1年としたのである。

そしてこの1年を経て、次は私立保育所へ転職することを決める。理由は主に2つ。まず1つ目は保育への共感の重要性を感じたから。そして2つ目は自分の強みを生かせる園がどのような園なのか見えてきたからである。


2、公立非常勤から私立の正規職員へ

前述した退職理由の1つ目については省略するが、2つ目の「強みを生かせる園が見えてきた」という部分は冷静に自己分析を行って出てきた答えに納得がいったことが大きかった。

これまでの経験も踏まえ、保育方針に共感できる、かつ、できる限り早く裁量が与えられそうな園に勤めることを決めた。そして、3園目での勤務がスタートする。

こちらの園では予想通り、クラスリーダー陣は30代前後と、比較的若い層で構成されていった。クラスだけでなく各行事にもリーダーというポジションが設けられており、その担当は3年目から5年目程度の若手職員が担い、事前準備のスケジュール調整から園長主任への相談、報告まで行っていた。

私自身も転職後早い段階でクラスリーダーを任される。必要のない書類はなくし、子どもの姿がベースになるものに変更。担任同士で対話する機会を作り、ノンコンタクトタイムも生み出した。正直なところ、結果的に保育内容以外の部分がうまくいかなかったのだが、強みについては確実に生かせていたと思う。しかし、組織で働く以上、このままの私ではいられない。葛藤の日々が続いた。ここでの学びはのちの私を大きく成長させているのだが、このあたりはまた次の機会に整理しようと思う。

そしてひょんなところからのご縁で地方への移住を決意、現在に至る。


3、私立保育所の職員から現場外部の人間へ


今回はこれまでの転職とは訳が違う。これまでは保育現場から保育現場への移動であり、幼稚園や保育園といった枠組みに変化はあったものの私のする保育や業務はほとんど変わらなかった。

しかし、今回は現場ではない。

外部から現場をサポートするような職についた。「意外」と言われたりもしたが、私自身としては対子どもより対大人のほうが得意であると感じる場面がこれまでに多くあったため、さほど違和感はない。むしろ、「ようやくこの境地にこれた」というような感覚すら覚えている。

もう少し具体的な話しに移るが、今回私はIターンという形で移住もした。いわば限界地域に近い、人口が減り続けている地域にて保育を盛り上げる役割を担う。

あえて質という言葉は使わないようにするが、とにかくこの場所の保育を、子育て環境を、より魅力的な方向に向かわせる一員として動いていく。これまでとは考える領域が大きく異なる。

変革の時なのである。


4、今私がやらなけらばならないこと


これまでしばらく、自分がこの仕事につくことを決意した動機を改めて明確にする作業を行っていた。

ただ、さまざまな方法を用いて思考をしようとしても、なぜか深くまで入り込めずにあるタイミングでシャットアウトされる。そんな感覚が続いていた。地に足がついていない状態とも表現できるかもしれない。

着任まで期間が短くなる中で焦る気持ちもあっただ、この状態から抜け出すべくなぜこの現象が起こっているのかと考え続けてみた。結果、無意識のうちに自分の「やりたい」に蓋をしていたからであるという結論に至った。

蓋をするようになった原因についても突き止めることができたのだが、これについてはまたの機会にまとめることとさせていただく。

いずれにせよ、自分に自信がなくなってしまったがために「今後何をしてもうまくいかないのではないか」「こういう発言をするとあの人にこう思われるのではないか」「私はまた間違った判断をしてしまうのだろうか」そんな風に考える癖がついてしまっていたのである。

これが無意識の中に存在していたのだから恐ろしい。

初めは「毒にまみれた」と表現していたのだが、毒にまみれたわけでもなかった。


一度思考の道筋が変わってしまうと、それを元に戻すには相当な強い力が必要になってくる。それはなぜかというと、こういった沼にはまると、同じような境遇の人たちが驚くほど周りに集まり始めるからである。1人が崩れると、まるで雪崩のように何人もの人が巻き込まれていく。人と人は色々な意味で助け合う。そして引き込み合う。どんな場所に引き込まれるかによって人は大きく変わる。そんなことを感じた。

そして私はしばらくそんな時期を過ごしていたのだなと、今になってようやく気づいたのである。


「成長には痛みが伴う」という言葉を言い聞かせていた時期があったが、まさに、傷の舐め合いはどこかのタイミングでキッパリと卒業する必要がある。というより、もしかすると本当の意味で傷を舐め合い切ったら、再度前を向くタイミング、言い方を変えると、自己実現の道へ向かうスタートラインが再び現れるのかもしれない

今私はようやくこのスタートラインに立てた感覚がある。もうここまでくれば正直恐れるものはない。改めて働く目的を設定し、その目的に向かって走る。それだけである。ただし、周りへの感謝は忘れてはいけない。うまくいった時ほど周りをみなければならない。そのことは心にとどめておきたい。

その上で、

「あの時挑戦し続けてよかった」
20年後にそう思える今を作りたい。そんなことを思う。



5、最後に

基本的に人は変化を嫌う生き物であると考えている。しかし、変化を恐れたままでこれからの世界を生き抜けるのかどうかは疑問が残る。

自分は今の園でしか働けない。
本当にそうであろうか。

保育者は保育しかできない。
本当にそうであろうか。

今の場所が自分にとって最適である。
本当にそうであろうか。

変化を恐れるが故に、
自分で自分の可能性をつぶしてはいないだろうか。
なんでもできるのに、
なにかと理由をつけて挑戦から遠ざかっていないだろうか。

こんな問いをもつことで少しずつ自分の枠を広げていきたい。
そしてそんな人を増やしていきたい。


今どんなに辛くても、数年後にはきっと「あの時ほんとしんどかったよね」と笑っている。

そんなものではないだろうか。


最後になるが、挑戦に必要な条件は2つ。
1つ目は失敗を恐れないこと。

そして2つ目は挑戦の背中を押し、気づきを与えてくれる人をそばに置くこと。

新しいことに挑戦しよう。
そして辛いことが起こったのならば傷を舐め合い復活し、
さらに一歩先のスタートラインに立とう。

悩める保育者と一緒に進めたら、幸いである。


気づきを与えてくれた前任者、まだまだ私の考えは甘いと言われそうだが、
ありがとう。


明日もいい日になりますように。
また書きます。


こゆめ

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