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Surfaceはわたしの頭の一部である

わたしは自分の頭の中で思考を完結させることが、たぶん苦手だ。

大学入学のときに手に入れたSurfaceというパソコンは、稼働5年目となった今も元気にサクサク動いてくれている。
このパソコンで、記事、小説、短歌、その他いろいろな文章を書いてきた。わたしの頭の中を可視化するツールとして、使っているつもりだった。
ただ、最近気づいたことがひとつある。
それは、Surfaceは頭の中を可視化するツールではなく、わたしの頭の一部になっている、ということ。

人から膨大な量の情報を受け取り、それをもとに自分の言葉を編むとき、わたしはいつもこのパソコンに頼っている。
それは大学生のときも、就職した今も変わらない。
わたしの思考を見える化してくれているこのパソコンに、わたしの頭の中が詰まっている。

物事を深く考えたいときにも、わたしはSurfaceを開く。
わたしの頭と、文字を打つ手と、Surfaceがそろって初めて、わたしの思考はきちんと働いているのではないかとさえ思う。

ひとつのものをできるだけ長く使いたいと思っているから、このSurfaceをこれからも大事に大事に使っていくつもりだ。
めざせ10年選手。まだまだよろしくね。

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