ひとりでも生きていける、けれど
ここで言う「ひとり」は誰の力も借りないということではない。
最近気づいたのは、別にわたしはなんだかんだ言ってひとりでも生きていけるのだろうということ。
あえてかみ砕いた表現をすれば、恋人はいてもいなくてもいいなと思った。
好きで一緒にいる相手でも、所詮は他人。わたしと相容れない考えを持っていることだってあるし、相手の気持ちを推し量って考えを巡らせるにも思考の負担が生まれるし。
そもそも、2人よりも1人の方が、いろいろと楽だと思う。生活も、何かを決めるときも、意見が割れる心配がない。全部自分の好きな方を選んでいけるわけだ。
それどころか、人と向き合うことは衝突やストレスの原因にさえなりうる。
1人でいた方が楽だなんてことは言うまでもなくみんなわかっていることだと思う。
こんなことを考えたのにもちゃんときっかけがある。
この間、先輩社員と話しているときに聞かれた。
「いざ相手ができてみるとさ、やっぱり彼氏がいなきゃ生きていけない!みたいな感じになっちゃう?」
そう聞かれたときに、驚くほど冷静に、
「いや、いなくても生きてはいけると思います」
と答えていた。頭でいろいろと考えるよりも先に。
自分の口からその答えが飛び出したことに驚いた。
これまでも散々言われてきた「人生何周目?」という返答をもちろんそのときにも聞いた。自分でも人生何周目の人の言葉なんだろうって思ったけど、わたしの記憶が正しければ、人生一周目、まだ二十云年しか生きていないひよっこニンゲン。
ただ、とその後に加えたのは、いなくてもいいけれど、いてくれた方が生きやすい、という一言だった。
わたしの中で「恋人」と「パートナー」には明確な違いがある。
恋人は楽しいことだけ一緒にする相手で、パートナーは喜怒哀楽すべてを共にする相手だと思っている。
昨今この言葉は混同されているような気がする。
”彼氏がいないと生きていけないか?”における彼氏はきっと恋人だから、いなくても生きていけるという答えになる。
じゃあ、この質問に出てくる彼氏が、パートナーだったらどうだろう?
恋人はいなくても生きていける。
でも、パートナーにはできれば近くにいてほしいし、いてくれないと困るし、いてもらった方がわたしは生きやすいと思う。
なかなか一筋縄にいかないことはわかっているけれど、今までを振り返ってみた今のわたしの、彼氏、恋人、パートナーの理想はこんな感じかなと思っている。
恋人であり、同時にパートナーでもいてくれるような人がいてくれれば。
今までもずっとそう思っていたんだろう。
こういう相手がいたら、わたしもきっと「彼氏がいないと生きていけない」と思うんだろうな。現に思ってる気がするけどさ。
先輩社員に聞かれたときから、ぐるぐると頭の中をまわっていた疑問。
質問の中の「彼氏」を、わたしは恋人のことだと解釈していたから、あの答えが出てきたんだろうと思う。
なんだか大事なことに気づかせてもらえて気がする。
それを文章として昇華できてすっきりした。