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「まわしよみ新聞」読売教育賞受賞記念鼎談

大阪・應典院で開催された、陸奥賢さんの「まわしよみ新聞」読売教育賞受賞記念鼎談のイベントレポート。登壇者は陸奥さん、釈徹宗さん(如来寺住職)、秋田光彦さん(浄土宗大蓮寺・應典院住職)。應典院との出会いによって育まれた陸奥賢の宗教性を紐解きました。

※あくまでもイベントに参加した個人のメモです。登壇者に校正をしたもらったわけでもありません。まとめるにあたって、僕のバイアスも大いにかかっていることをご了承いただきたい。

陸奥:「まわしよみ新聞」は、應典院で開催している「コモンズフェスタ2013」のためにつくりました。「多様な人々が出会い、対話が生まれる場をデザインしてくれ」という秋田住職からの無茶なリクエストによって生まれた。先ず自分自身がはまって遊びでやっているうちに、面白いと一緒に遊んでくれる人が出てきた。その人たちが、また違った場で遊んでくれることによって、知らず知らずのうちに一人歩きをはじめて広まっていきました。あれよとあれよと日本全国に。

秋田:どんな業種の人たちがやってくれたの?

陸奥:火をつけてくれたのは、教育関係者や新聞関係者。まわしよみ新聞は新聞を切って、ずたずたにする。新聞関係者には嫌がられると思ってたけど、喜んでくれた。新聞の購読者が減っているなかで、地方新聞が盛んに使ってくれたことは大きかった。教育に新聞をもちこむなかで社会勉強になるのではないかという実験だったのかなと思ってる。最近は幼稚園でもやってくれています。大人と同じように新聞を持ってきて、なんかよく分からんと言いながら、新聞を切ってペタペタしてる。

秋田:遊びだね。

陸奥:まさに。まわしよみ新聞は最後に壁新聞みたいな、アウトプットするものをつくる。ものづくり、ものデザイン。ノンバーバルなコミュニケーションを通してものづくりをしていく。単なる対話の場ではないから、大人から子どもまで参加できる。こどもの方が、斬新なものをつくるから面白い。

秋田:ここまで広まったのはオープンソースであることが大きかったんだろうなと思ってる。権利をどうこう言わない。なんで?

陸奥:当初からオープンソースで、誰でも自由にどうぞのスタイル。僕は、コモンズデザインだと思っている。

釈:大学で数回やりました。要素が複合していて、誰でも、必ずどこかにひっかかる。ワークに入るのが嫌な子、しゃにかまえる子もいる。プレゼンとか投げやり。だけど、いろんな要素が入るので、どこかで参加する。留学生も参加できる。上手く新聞を読めなくても参加可能。年齢、国籍を問わない。よくできているなと思います。

秋田:釈先生がするとどういう傾向なの?

釈:広告とか、レイアウトにこってしまう。

陸奥:釈先生、絵も上手なんですよ。

秋田:僕は、健康に関することばかり取りあげていた。健康に関心があるわけじゃなかったから自分でも不思議だった。自分でない自分が紙面にあらわれてくる。箱庭の感覚。

陸奥:僕は普段、新聞は好きな記事、関心のある記事しかみない。それによって、潜在的に関心のある記事とは出会えない。まわしよみ新聞の場合、時間も限られているし、プレゼンのことも気にしながら、皆さんサラッと読む。なんとなく気になる、なんとなく好きなものを見繕う。そこには隙間がある、つけいるすきがある。なんとなく手にとったものの、なんでこれが気になったんだろうとか勝手に考え始めて、適当なことを言ってみる。それではじめて自分で気づくことがあったりする。好きな記事だと、そこには余白がない。

秋田:読売教育賞受賞をして、色んなメディアに取り上げられているけど、應典院のことが書かれていない。どういうこと(笑)。

陸奥:毎回言っているんですけど、どこにも出ない。というのも、應典院のことを出すと、應典院のことを説明しないといけない。普通のお寺じゃないし。そうすると、それだけの記事になってしまうから出せないわなって思ってます。

秋田:納得した(笑)。僕と陸奥さんとの出会いは、上町台地のまちあるきのイベント。それに参加して、見えないものを立ち上がらせる人、鬼才だなと思った。見えないものとクリエイティブな関係をつくる、見えないものと我々との関係をつむぐ触媒。

釈:僕は秋田先生から陸奥さんのことを教えてもらいました。それからまもなく、大阪七墓巡りで出会った。

秋田:ある意味、僕自身がこういうものをつくり出したい、憧れを形にしている。衝撃だった。死者も含めて、人と人とをつないでいく。

釈:我々には思い浮かばない発想や視点を提示してくれる。その発想に色んな人がのっかってくる。

秋田:こういう姿形なのに、ああいうクリエイティブなものを生み出すことに納得いく?(笑)

陸奥:まだ生きていたんですね、もっと昔の人が考えたと思ってましたって言われる(笑)。

秋田:陸奥さんはマージナルな存在。とてもピュアで、信心深い。

陸奥:まわしよみの新聞の手法や場のデザインは何が影響して思いついたのか自分でもよく分からなかった。違う企画で釈先生と対談したさいに、霊友会の影響が大きかったことに気づきました。母が霊友会の熱心な信者。霊友会は在家仏教会で、少人数の車座で語らう、共鳴の場作りを大切にする。

釈:分派を繰り返したから、もしそのままだったら日本最大。

陸奥:霊友会の集いのなかで、解決しない、横滑りしていく会話がよく発生します。少人数で車座になって、ある人が泣きながら自分のしんどさを語っていて、関係あるような無いようなことを皆んなが語らっていく。しんどさを否定したり傷つけたりはしていないけど、問題が解決するような建設的な話ではない。だけど、さっきまであれだけワンワン泣いていたのに、気づけば、その人も笑っている。そういった場の経験が蓄えられていたんだと思う。だから、まわしよみ新聞に、もし原型となる形があるとするならば、宗教的な場の作り方が反映されていたと思う。仏教の場作り、談合、示談を、僕なりに解釈して具現化されたものといえるかもしれません。

秋田:僕は陸奥さんのことをとても宗教的な感性が高い人だなと思ってる。元々もっていた宗教的なものが、花開いた感じがする。潜在的な宗教性を顕在化させ、さらに、顕在化したものを再定義しているようにみえる。そういったことの転機があったの?

陸奥:七墓巡りが転機だと思います。大震災を受けて、無縁仏を供養する姿に感銘をうけ、七墓巡りを実施した。そこに秋田住職があらわれて、無縁大慈悲を教えてもらった。

秋田:應典院のお墓の裏の中段のところには昔は村があった。犬がいっぱいいたし、なんとなく行ってはいけない雰囲気が漂っていた。つるをつたって、登っていった。そこに上がるには憧れと不安。上に引き上げてもらったときは快感だった。火事がおきて、誰も住めなくなった。高度経済成長をするにつれて、我々は捨ててきたもの、封印してきたもの、忘却してきものがある。そういったものたちをもう一度想起させてくれるのが、七墓巡り。そのインセンティブがすごい。だからこそ、アーティストが集まってくるんだろうなと思う。

陸奥:無縁仏は他者中の他者。会ったこともない、しかも、既に亡くなっている人。どういう人かも分からない人のために、大阪の町衆が集っていた。究極のコモンズデザイン。僕がやっていきたいことは、七墓ぐらい強烈な他者との出会い。無縁仏に僕は何ができるのか、というのが持ち続けたい問い。そういった他者をつなぐツールの一つにまわしよみ新聞があるけど、それは近い人とつながる、優しいツール。

釈:七墓は都市の供養ともいえる。陸奥さんはアーティストや芸人の人たちと一緒に活動している。そこらへんの感覚が秋田住職と合うんだろうなと思ってる。

陸奥:七墓に熱狂するアーティストがいる。だけど、深い領域まで踏み込んでいくと、たぶん帰ってこれなくなる。

釈:なるほど、宗教儀礼の装置がいる気がする。

陸奥:死者とシンクロする領域まで行ってしまうと、たぶん、終われない、帰ってこれない。七墓をするさいには宗教者が必要、宗教儀礼のエストの力に頼るしかない。

秋田:宗教的なものとアートは親和性が高い。アートは20世紀に商品として売買されていたが、90年台の後半から市民がアートを担っている。アートが潜在していた宗教的なもの、封印されてきたアートがもっている宗教的なものが、シンクロしている。應典院でやっているアートはとても宗教的なものだと思っていた。そんなときに、陸奥さんと出会った。アートがもっているさらに深い宗教的なものに気付かされた。

陸奥:母親の影響を受けて、幼少期から宗教的な感性は高かったんだと思う。だけど、その後、そういった押しつけに反抗した時期もあり、宗教的な感覚は忘れていた。僕がその宗教的なものと、もう一度と出会い直したのは、東日本大震災。あのときになにか魂みたいなものが揺さぶられた。そこからまわしよみ新聞や七墓がスタートした。

釈:現代は宗教的な感覚がやせ細っているように思う。見える世界を通じて、見えない世界に想像を伸ばしていくような装置が必要。アナロジーの能力。人間は見える存在を通じて、見えない世界まで伸ばしていける。どこまで伸ばしていけるのか。そこに宗教やアートの力が必要。家庭の習慣、地域の習俗、宗教的な儀礼など、そういうものに育てられて、超自然的存在までのばしていけたのだけれど、いまはそういった装置がやせ細っている。いまは、超自然的存在まで直接、直結しないといけない。いまの若い子の方が感度は良い。しかし、それには危うさも在る。昔の装置は、シャープじゃない、色んな作法があり、もたもたしていた。直結しないだけど、そのゆるやかさによって安全だった。いまは直結せざるを得ないからこそ、危険だなと感じる。

秋田:そういった装置、他者との出会い、つながりによって、間接的な関係がそこらじゅうにあった。いまは直接的な関係しかない。

陸奥:僕は長男だったので、お経も読まされた。弟は、全部読まなくてよかった。僕と弟では宗教的なものにたいする拘束時間が全然違った。その時間によって育まれた感性は強いと思う。

秋田:そろそろ時間です。最後に宣伝。陸奥さんが開発した様々な遊びを体験できる、應典院のコモンズフェスタがもう時期行われます。もう、陸奥祭りといっても過言じゃない。

陸奥:コモンズとは何か。コミュニティは顔のみえる関係。コモンズは顔の見えない関係性。顔の見えない他者といかに出あうか。インターネットは、直接的にしか人や情報と出会えない。単純明快で効率的で能率が良い。コモンズは、顔の見えない他者と出会う場、あるいは、違和感と出会う場。他者のなかに、死者もいる、生き物もはいる、町もある、文化もある。言語的・非言語的なコミュニケーションを通して、他者と出会う。コモンズフェスタではそんな球を投げている。ぜひ、お越しください。って、こんなよく分からん説明では、誰も来たいとは思わないね(笑)。


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