人生は50歳から激変:自己紹介
はじめまして、岩井洋美です。
このページに目を止めてくださってありがとうございます。
私は今経営者の方、特に大きな組織を辞めて経営者となった方のビジネスサポートをしています。私がお伝えする「セルフプロデュース」のメソッドは、ビジネスにも人生にも大きく影響することなので、お客様と一緒に全力で取り組んでいます。
よく「長年ずっと仕事をバリバリやってきた人」と思われるのですが、実は私が今の仕事を始めたのは50歳になってからのこと。
「え~っ!」と驚かれることもしばしばです。
それはたぶん、「年齢」が何かをあきらめてしまう理由のひとつになるからなのだと思います。
「年齢なんて関係ない」って言いながらも、自分にストップをかける人も少なからずいますから。
だけど、本当にそうかなぁ?
これまでの世間の常識から考えたら無理と思えることでも、何かを始めるのに遅すぎるってことはないし、自分の好きなことで自分の力を発揮できるのであればなおさらだと思います。
私は人生で一番忙しくて充実していたのが50代。歳を重ねたからこそできることもあるのです!
潜伏期間20年
「こんな講座が始まるらしいよ」夫のこの一言からマーケティングとコーチングを学ぶことにしたのは50歳目前。
30歳で結婚して専業主婦だった私は、「子供もいないのに仕事してないの?」とか「毎日何やってんの?」とか「暇で困るでしょ?」とか、人から言われたものでしたが(今なら〇〇ハラスメントになりそうですけど)、自分の生活がつまらないと思うことも、そういう自分が世間から取り残されていると思うこともなく過ごしていました。
ただ、「この講座はおもしろそう~」って思っただけで始めたに過ぎなかったマーケティングもコーチングも、私を「覚醒」させることになりました。
当時この講座に参加していた人は、99%仕事をしている人。
「セカンドスキル」として学んでいる人の中で、「専業主婦」だった私は異色。「主婦がお遊びに来てるんじゃないよ」というあからさまな嫌味を感じながらも、「コーチングは私の天職だ!」「主婦として培った肌感覚こそマーケティング思考だ!」と自分で勝手に思い込み、マーケティングコーチとして仕事をスタートさせます。
専業主婦としての潜伏期間20年を経て、50歳から…それも講座で学んでいる最中のことです。
ワクワクを本気で極める
その人が持っている価値観をマーケティングに活かす中で、ことがビジネスだけに限らず、その人の人生にも大きな役割を果たすことを確信するようになりました。
それは「プロファイリング」というスキルを身につけたから。
53歳のときです。
マーケティング、コーチングにプロファイリングをプラスすることで、より「あなたにしかできないビジネス」ということの本質を極め、精度を上げることができるようになった。
これが今の「セルフプロデュース」につながっています。
ある時お客様から言われました。
「他人のことでそんなにワクワクできるって便利だな~。いいですね。」
言われてみると笑ってちゃいますが、「ワクワクできる」と言うよりは、「ワクワクしちゃう」というかんじが近い!
プロファイリングをすることで、その人の本質にある「ワクワクの源泉」は分かっていますので、より本質的なところで「その人のワクワク」を形にすることに「私のワクワク」は止まらないんです。
「3倍速の女」と呼ばれて
私が仕事を始めた50歳から遡ること7年。
夫が起業してヒーズ株式会社を設立しました。
当時専業主婦だった私についた「取締役」という名前は、ただのお飾り。
仕事ができるわけでも、これと言って役に立つことができるわけでもありませんでした。
ただ、会社設立から8年後に仕事をスタートすることになる私にとって、経営者としての夫を妻として一番近くで見てきたことが、大きなアドバンテージになったことは間違いありません。
良いことも悪いことも全て見せてくれていたことが、私の知識と経験としても身についたからです。
さらに私には、「同じ轍を踏まない」という道が用意されることにもなりました。経営者としてあれこれ悩み、もがき苦しんだ夫のお陰ですが、夫はそんな私をと言います。
夫の「3倍速」で成果を上げ、結果を残すことになったからです…笑。
50代をものすごいスピードで駆け抜けた私は、夫と同じように組織で働くことを辞めて、自分が経営者になった人が思う存分力を発揮できるようであって欲しいと思っています。
そのために私ができることはたくさんあると思う気持ちは、仕事を始めて11年過ぎた今も変わらずに持ち続けています。
まさか!の歌手デビュー
仕事を始めてから2年後、52歳のときです。
もしも仕事を始めていなかったら決して出会うことのなかった人との出会いから、私にとっての「ワクワク」が花開くことに…歌です♪
歌手を目指したことなんてありませんでしたが、歌うことは大好き!
子供の頃から歌は常に自分と共にあったものです。
自分のオリジナル曲をつくってもらい、CDをリリースするなんて想像もしていなかった! プロのミュージシャンのみなさんの演奏で歌うなんてことも、夢のような話です。
今やオリジナル曲は37曲にもなり、歌詞も自分で書くようになりました。
コロナ禍ではライブコンサートはできませんでしたが、昨年3年ぶりに実現した「還暦ライブ」は
まさに「年を重ねてもできる」を印象付けることになったわけです。
歌についてのストーリーはこちらで詳しく書いています。こちらも覗いてみてください。
オリジナル曲もお聴きいただけます!
「お・も・て・な・し」で応援する
ただ今61歳の私。
自分の人生を振り返ってみたとき、「愛情」「慈しみ」「応援」「元気」「勇気」いろんな人からたくさんもらってきたと思います。
本来なら、たくさん与えられたものを自分が親になって子供に与えるということになるのでしょうが、私には子供がいません。
そのことを特に思い悩んだことはないのですが、そのうちこれまで自分に与えられた多くのものは、自分の子供という狭い範囲の人に与えるだけではだめなんじゃないかと思うようになりました。
もっと多くの人のために使わなくてはいけない、だから自分には子供がいなかったんだと、今はそう思っています。
私はその人のワクワクを形にしてビジネスを応援したいし、その人の人生を応援したい。それも全肯定で!!
そんな私を支えている信条がこれ。
歌うこと、詞を書くこと、そして仕事。それだけを見ればバラバラなことのように思われることかもしれないけれど、私にとっては手段が違うだけで「お・も・て・な・し」を体現するところでは同じ。
歌に限らず、仕事に限らず、自分の人生において「お・も・て・な・し」という大切な想いは手段が変わっても同じなのです。
これはね…自分の人生を重ねてきたからこそ、今私ができる応援なんです。