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とうほくのこよみのよぶね2024の記録

岐阜市で2006年に始まり、毎年冬至の日に開催されている「こよみのよぶね」。竹と和紙で作った1月から12月の数字の行灯を船に乗せ、長良川に流し過ぎゆく一年に思いをはせるアートプロジェクトです。

「こよみのよぶね」2011年のリーダーを務めた庭師の古川乾提(ふるかわけんじ)さんは全国の庭師のネットワーク「庭JAPAN」の仲間たちと石巻で東日本大震災の復興支援にあたっていました。

「東北の人たちが、あの日以来水に近づくことができなくなったと言ってみえて、こよみのよぶねの明かりが東北の海に浮かぶと、それをきっかけにまた海に気持ちが向かうんじゃないかと思って」

その思いは「3.11」の行灯になり、石巻の海に浮かびました。
これが「とうほくのこよみのよぶね」の始まりです。
今年も「3.11」の行灯が東北の海に浮かびました。岩手県釜石市鵜住居で開催された「とうほくのこよみのよぶね2024」の記録です。


3月10日 ワークショップと前日準備

2024年の「とうほくのこよみのよぶね」は地元のみなさんと岐阜から出向くチームが一緒になって作っていきます。
開催前日の3月10日は日曜日、釜石市民ホールTETTOにおいて和紙を貼るワークショップが開催されました。


地元の小学生も参加し、大きな数字の行灯に色付けした和紙を貼っていきます。

前日に車で到着していた岐阜チームのメンバー、当日飛行機や新幹線で到着したメンバー、そして「こよみのよぶね」総合プロデューサーのアーティスト日比野克彦さんも協力し、すべての行灯に和紙が貼られ、撥水剤を塗る作業まで終えました。

長良川では鵜飼の観覧船に行灯を取りつけ、当日は船頭さんたちの協力で川に浮かべることができます。
釜石の海では行灯を取り付ける舟形のフロートを漁船で引っ張ってもらい海に浮かべるのです。
漁船を出してくださるのが「民宿前川」の前川さん。80歳を過ぎても現役の漁師さんです。
波の高さや天候など、船を出せるかは海を知り尽くした前川さんの判断に委ねられています。

岐阜チームの1泊目は「民宿前川」さんでお世話になりました。食べきれないほどの魚介類の料理の数々。

わかめのしゃぶしゃぶは海のない岐阜では味わえない一品。沸騰した昆布だしにわかめを入れると一瞬で鮮やかな緑色になります。シャキシャキした歯ごたえは病みつきになるおいしさでした。
釜石の豊かな海を食を通して知ることができた時間でした。

3月11日「とうほくのこよみのよぶね」当日


釜石市民ホールTETTOから根浜海岸の旅館「浜辺の料理宿 宝来館」まで、トラックにブルーシートで保護した行灯を積んで運びます。

宝来館に到着後、行灯の破れたところを修復したり太い竹の芯棒を取り付け、海に浮かべるフロートを組み立てる作業を行いました。


お昼の休憩時には地元の学校の給食にも出るという「沢口製パン」のパンをいただきました。
地元の小学生がうらやましくなるおいしさ! これはお店にも伺わないと。

ふわもち食感の食パンにクリームが合います!

宝来館のテラスでは小さな「3.11」の行灯が飾られ、追悼行事の準備が進められました。従業員のみなさん、宿泊客、地元の方々などが風船にメッセージを書いていきます。

能登半島地震の被災地に向けたメッセージも。
日比野さんの風船、素敵です、


14時46分にサイレンが鳴り黙とうを捧げ、女将さんが追悼の鐘を鳴らした後、風船が空に放たれました。
色とりどりの風船は風にのって高く高く飛んでいきました。


行灯とフロートを港に運び組み立てていきます。立ち上がった大きな行灯を漁船で引っ張っていただき海に出ていきます。

明かりが灯り、今年も無事に「3.11」は海に浮かびました。ほっとする瞬間です。

夜には地元の実行委員会が鎮魂の花火として長岡でうまれた「白菊」を打ち上げます。
この花火を作ったのは長岡の花火師・嘉瀬誠次さん。シベリア抑留中に亡くなってしまった仲間に捧げる鎮魂の花火として作られたそうです。
今は息子さんが想いを継いで制作、打ち上げています。

「白菊」の打ち上げまで時間ができたので、岐阜チームのメンバーは「釜石いのりのパーク」に向かいました。
鵜住居駅前にある複合施設「うのすまい・トモス」には「釜石祈りのパーク」や「いのちをつなぐ未来館」などがあります。

「いのちをつなぐ未来館」では写真展が開催されていました。


テレビで見た津波の映像からはただただ恐怖を感じましたが、この写真展では悲しみや絶望、無念、悲嘆のなかでも生きる人たちの気概などがこちらに迫ってくるような写真を見ることができました。

「釜石いのりのパーク」は震災で犠牲になられた方々の芳名板が設置され、献花台を備えた慰霊碑、鵜住居駅前地区における津波浸水高(海抜11m)を表すモニュメントがあります。
メンバーそれぞれ献花させていただき、丘の上に上がりました。


津波高のモニュメントを目の前にして、初めて訪れた私は報道の数字だけでは分かったつもりでしかない実際の波の高さを痛感することができました。


日が暮れて暗闇の海に浮かぶ「3.11」を砂浜で見ていると、湾に轟く大きな音とともに白一色の美しい花火が打ちあがりました。

花火を見上げる空にいらっしゃる多くの方々の魂が安らかでありますように。

花火も終わり、海の上の行灯も漁船に引っ張られ港に戻ってきました。

岐阜メンバーと地元の協力者のみなさんの経験値、集中力で解体、撤収は予定より早く終了しました。

波の音を聞きながら宝来館の露天風呂で体を温め、地元の方も一緒においしいお食事をいただきます。

宝来館の女将、岩崎昭子さんは「花火だけじゃない、花火の下に『3.11』の行灯があるから祈りの日なんです」と話してくださいました。


どんなに大きな災害や事故、事件も、それを知らない世代が増えていけば風化していきます。
知ること、忘れないこと、そこから学んだことを活かすこと。
風化させないためにも「とうほくのこよみのよぶね」を続けていくことは小さなことかもしれないけれど意味がある、そう感じた2024年3月11日でした。

3月11日、地元のみなさんにとっては大切な方、共に過ごしてきた地域の方々の命日である大切な日です。改めてこの活動に賛同し協力していただけることに深く感謝いたします。


また来年!

執筆・写真:小笠原ゆき

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