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昔、親父のこと
昔の話、45年前、私が小学校3年生の頃の出来事です。
夕食前のことでした。
泣いています。
泣きじゃくっています。
「本をどうしたが?」
「本を借りてきた言いよったろがよ?」
「それをどうしたよ?」
母親に怒られているのです。
その時は、母から何を聞かれても、どう聞かれても答えられず、泣くしかなかったんです。
その日、初めて図書室で本を借りました。
「エジソン伝」という本です。
初めて借りた本ですので、大事に扱わなければならないことは分かっていました。
分かってたつもりでした。
初めて本を借りたということで、ウキウキと浮かれた気分だったのは確かです。
小学校前からバスで終点まで行き、後は歩きます。
大事な本なので手に持っていたのです。
それは、覚えています。
で、夕食時には本がないのです。
途中、隣のヒロアキと話してふざけていた時に落としてしまったのか、記憶は全くありません。
本をどうしたと聞かれて、何も答えなかったのは、わからないので答えられないということもありますが、そのまま黙っていれば、母親か父親どちらかが取って来てくれるのではないかと狡い計算をしていたせいです。
黙って嵐をやり過ごせば、必ず助け船が来ると思ってました。
しかしこの日は、嵐は去るどころか、ますます強まるばかりです。
「探して来なさい」
「は?」
「探して来なさいや」
「お父ちゃんの車で?」
「人をあてにしなや。いやらしい。一人で歩いて行って来なさい」
「…」
外は既に暗く、電灯がないと危険です。
「電気は?懐中電灯は?」
「こないだ買ってあげた小型の持ってるでしょう、それで十分」
小型の懐中電灯といってもペンライトですよ。単3乾電池を使うヤツ。
どう考えても、十分ではないのですが、言われりゃ行くしか途はないわね、と肚くくりましたよ。
行きましたよ。夜道をトボトボと。
バスの終点まで1km、田舎も田舎です、ポツンと一軒家ですから。街灯すらありません。
月夜以外は真っ暗闇です。
家からまず、ぐるっと回って川向こうの道路に出なければいけません。
川に架かる橋を渡るとやっと道路に出ます。
そこまでで約100m。
ペンライトは役に立たないくらい暗い。
光の太さがペンだから、全然明るくない。
大体の道の様子は頭に入っていたし、数時間前に通った道なのでどこに何があるかは分かっていました。
それは、救いでした。
約1km、歩きました。
左は川沿いの崖っぷち、右は山側の崖です。
歩きの場合は、山側を歩くことが多いのでこの時も山側に沿って歩きました。
左側は落ちる可能性があるし、落ちたら只ではすみません。当時、ガードレールはなく、落ちれば下の川まで落ちていきます。
道路上に家はありませんので、それは暗いですね。
普通に考えたら、怖いこと請け合いです。
その時は不思議と、怖いという感情は湧いて来なかったですね。
本を探すこと、見つけることに心が傾いていますから、全然怖さはなかったです。
しばらくして、漸く探していた本に出会うことが出来ました。
道路の縁、畑の石垣の下にありました。
本は閉じてましたね。
「あった、よかった」が正直な気持ちです。
あるんだろうなとは思っていました。
なんで落としたのか、わからないままでした。
ひとまず良かった。
探し物があったので、後はとっとと帰るのみです。
来た道を帰るのです。
帰りも暗い夜道です。
一本のペンライトを頼りに歩いて行きます。
道路の下はすぐ川が流れてますから、川の水の音がサワサワと聞こえてきます。
左は切り立った崖になっており、木が張り出して来ています。
風が吹くと、まるで野生動物の鳴き声のように聞こえてきます。
山が鳴ってるようにも聞こえてくるし、道を歩いているのに、変な世界へ迷い込んでしまったような不思議な感覚がしていました。
この間、近くに住むユキオさんが家に来た時、
「奥から歩いて戻って来たところが、川の向こうの墓があるところが、赤く光っての、火の玉になって飛びゆがよ、ありゃ絶対火の玉よ」
と冗談好きのユキオさんが真顔で言っていた。
親父は、そんなことあるかや、と取り合わないで、まあ一杯飲めや、と酒を勧めてましたね。
酒好きなユキオさん、酒を飲みたいからそんな話を出したのか、本当にそうだったのか、わかりません。
私は、本当であったとしても不思議ではないと思っていました。
山自体が、不思議な生き物のような神秘的な存在なので、不思議じゃないと思っていました。
そんなことが頭をよぎりました。
すると、奥の方から、家がある方から灯りが見えて来ます。
自動車やバイクではないですね。音がしませんもん。
ユキオさんが見たものと同じものを見ることができるのかしら。
私は、ペンライトを翳しながら歩いています。
得たいの知れない光は、少しずつこっちに近付いてきています。
だんだん近くなって来ます。
何だろう、確実にこっちに来る。
ドクン、ドクンと心臓が鳴る音がわかるのです。
「アツヒロ、アツヒローっ」
その光が呼ぶのです。
あーッ
親父でした。
息子のことを心配して、迎えに来てくれたのです。
「どうぜ、あったかよ、見つかったかよ?」
「うん、あった」
「そうか、あったか、そりゃ良かった」
「良かったよ」
「けんど、そのライトでよう歩いてきたもんよ、暗いやいか」
「慣れたらなんちゃあないちや、慣れたよ」
田舎の親父なもので、口に出して誉めることはしたことがないし、ベラベラ喋ることもないですね。
「じゃ、帰ってご飯食べよう、腹減ったろう」と言ってくれた時にはじめて、腹が減ったことに思い至りました。
母親に怒られ、暗い夜道を一人トボトボ歩いて、落とした本を探しに出掛け、目指す本を見つけて後、心配して迎えに来てくれた父親と遭遇した話です。45年前のことです。
不思議なことに前後のことは記憶が飛んでいます。
爺さんの顔、妹の顔も記憶のスクリーンには出てきません。
食べたであろう夕食すら味覚の記憶も残っていないのです。
ただ、普段無口な親父の優しさを感じることができたので 、今でも色褪せない記憶として私の脳に刻まれているのだと思います。
弘瀬厚洋