拝啓、車椅子の俺へ 第一章 その五①
(GoogleEarthより)
高知追手前高校(こうちおうてまえこうこう)は、お城の下にある時計台がシンボルの高校だ。
高知駅からはりまや橋に向かう道路の中間点から高知城の追手門に伸びる道路沿いにある。
この道路は、追手筋(おうてすじ)といい、日曜日には「日曜市」で賑わい、「よさこい祭り」ではこの通りをメインに踊り子達が舞い踊り、練り歩くのだ。「よさこい」期間中には高校前面の歩道に、座って踊りを見られるよう特別観覧席が設けられる。
向かいに小学校(2013年に閉校、卒業生に広末涼子、現在は図書館等複合施設の「オーテピア」が建っている)、西隣には女子校がある。
また、徒歩すぐの場所に、帯屋町商店街がある、市役所がある、県庁もある。
つまり、高知市の中心部、高知県の中心部に高校があるのである。
創立は1878年(明治11年)、県内で2番目の歴史の長さだ。今年(2022年)、創立144年になる。
一番古いのは、高知小津高校で、1873年(明治6年)創立、今年149周年だ。
高知追手前高校は、
・高知中学校
・高知県中学校
・高知県立第一中学校
・高知県立城東中学校
と名称を変遷してきた歴史がある。
時計台のある本館校舎は、鉄筋コンクリート造3階建ての歴史的建造物だ。空襲にも耐えて焼け残ってきた。
正面玄関を入ると、すぐに中央階段がある。重厚で存在感があり、教室のある2階、3階へと繋がっている。
少し薄暗い廊下の照明が、独特の匂いを伴って、時代の雰囲気を伝えてくれる。
明治、大正、昭和、平成、令和のそれぞれの時代と繋がっているようにも感じられるのだ。
玄関ホールに立ち、階段を見て、右手の廊下の奥を見る、左手の廊下の奥を見る、正面に見える中庭を見ると、ここは異空間かと思えるほど時空を超えた不思議な感覚に襲われる。
校訓は、「質実剛健」「文武両道」だ。
ほぼ全員が進学希望である。
部活動は、運動部、文化部ともに盛んだ。
野球部では、前身の城東中学校時代の1946年(昭和21年)に前田祐吉投手(元慶応大監督)を擁し夏の甲子園出場実績がある。
著名な出身者は、濱口雄幸(第27代内閣総理大臣)、寺田寅彦(物理学者)、やなせたかし(漫画家)、横山隆一(漫画家)、松村厚久(ダイヤモンドダイニング創業者・社長)等々。
偏差値は、「64」で土佐高校、土佐塾高校に次ぐ2番手グループ。
高知県は、教育後進県といわれ、相対的に学力が低く、私学優位は昔からのことだ。
県立高校トップの追手前高校でさえ全国ではBランクで「中の下」レベルである。
そのレベルを押し上げるために、県内の優秀な先生が集められるのだ。
我々の頃(昭和54年入学)は、全校生徒が約1,200人で、10クラスあった。
生徒は、総じて温和しく、真面目な優等生気質である。
県内では、追手前高校(おうてまえこうこう)、通称では追手(おうて)と呼ばれている。
立地、歴史、校舎の建物、生徒及び教師の気質、偏差値等からこの高校に通うことは一種のブランドで、そのステータスは高い。
いつの時代にあっても高知県下の中学校から優秀な生徒が集まってくる、そんな高校なのだ。
→つづく
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