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拝啓、車椅子の俺へ 第一章 その弐


(GoogleEarthより)


当時は、女子のバレーボール部が強かった。全校集会でいつも表彰されるから相当強かったのだろう。夜遅くまで練習していて、父兄が迎えに来るのが日常だから、その頑張りは相当なものだったと思う。ある日の夜、寮のレクリエーションで体育館に入ったら、バレー部の練習を目の当たりにすることができた。まず、空気が違うのだ。ピリピリとした緊張感が張りつめた空気。その雰囲気の中、「出ろ!コートの外に出ろ!」と顧問の先生が目を吊り上げて怒鳴っている。怒鳴られているのは、クラスの女子だ。「お前みたいな下手くそがいると練習が進まないんだよ!何度も何度もおんなじミス!出ろ!」シーンと水を打ったような静けさの中で響く先生の怒声。出ろと言われても出ないで、何も言えなくなっても動かなかったその女子。出てしまえばそこで終わるのを知っているから意地でも出ない。そのシーンを目の当たりにして、自分が叱られているような怒鳴られているような錯覚に陥った。熱い鼓動を感じた。強烈な刺激を受けた。これがバレー部か、はじめて練習を見たけど、強さの一端を垣間見たように思った。事実、3年生の時には県下では無敵で無敗を誇っていたのだ。「負けてられるか」

野球部も強かった、と思う。
俺が入部を躊躇し、結局は入部しなかった野球部は、バレー部と並ぶ花形だった。
多分男子生徒だったら誰もが野球をやりたい、野球部に入りたいと思ったはずだ。
一度は入部してその厳しさを体験しても良かったかもしれない。チャレンジもせずに他の部に逃げた形になったのは残念だった。
運動場のほとんどを占めるグラウンドがある。立派なバックネットがある。マウンドがある。ブルペンがある。
部員も多く、当たり前だが、みんなユニホームを着て練習している。
金属歯のスパイクをカチャカチャ鳴らして走る姿は眩しく見えた。
それに、ソフトボール部のことなど眼中になく歯牙にもかけてなかった。
「負けてられるか」

ソフトボール部は、野球部のグラウンドのライト後方に手作りのバックネットを拵えてグラウンドとしていた。
当初はユニホーム姿の部員は少なかった。体育の授業で着用するジャージを着て練習していたのだ。
グラウンドの隅でちょこちょこ練習する姿は、とても強いとは感じられなかった。
事実、弱かった。
何とか強くなりたい。試合で勝ちたいと本気で思うようになった。

マンガ「月刊少年ジャンプ」で「キャプテン」(ちばあきお)が連載中だった。中学野球を題材とした野球漫画だ。
青葉学院野球部の2軍の補欠だった谷口君が墨谷二中に転校して、父親と凄絶な努力を重ね、その努力の甲斐があってチームのキャプテンに指名される。下手だった者が努力によって上手くなり、試合では何としても勝ちたいと最後まで諦めないその真摯な姿に共感し感動した。
弱小野球部が頑張りによって強くなっていく過程を、我が身に置き換えて考えていた。
二代目キャプテン・丸井、三代目キャプテン・イガラシと代は替わっても猛練習によってしか実力はつかないとの方針は変わらない。
等身大の中学野球を描いているので感情移入しやすく、俺は多大な影響を受けた。
もっと頑張るのだと、叱咤激励してくれたのだ。

「なにくそ!負けるものか!」という反骨精神が俺の真骨頂だ。
強いもの、優れたものに対抗心を燃やし、頑張って努力して成長していって追いつき追い越すのが自分の真価だと思っている。
だから、野球部には負けない! バレー部にも負けない!
自分のいるソフトボール部を強くしたいという情熱の炎がメラメラと激しく燃え盛っていた。
一人居残り練習で夜遅くまでバットを振ったり、ランニングしたり、ネットに向かってピッチングしたりしていた。

自分一人で熱くなって頑張ってもチーム競技は勝てるものではないが、頑張る姿をみてくれたチームメイトがいて、俺も頑張ろうと頑張ってくれる部員が徐々に増えていった。
タイミングよく顧問の先生も替わった。戦術に長け実績もある先生が顧問になってくれたのだ。
エースピッチャーの座を球の速い同級生に奪われた。俺はセカンドを守ることになった。
この入れ替えが功を奏した。俺がエースでは心許なく勝てないからだ。
このピッチャーが良く投げた。打つべきバッターも打つようになった。
やっと勝てるようになってきた。

快進撃は3年生になってからだ。
支部大会に優勝して、郡の大会にも優勝。はじめて県の大会に出ることが出来た。陸上競技場で入場行進も行った。
それだけでも充分な成績だが、際立ったのは、秋の県大会だった。
三里中、仁淀川中、下ノ加江中らの強豪を次々と撃破していってとうとう決勝まで駒を進めたのである。
決勝戦の相手は、池川中。
試合途中リードされているのに勝てると思った。逆転しての優勝か、すごいなあと邪な思いが心を占めていた。
これまでの試合ではこんなこと考えてもなかったのに。
決勝戦ということで、ついつい舞い上がってしまったのかもしれない。地に足が着いてなかった。
こんなことで勝てるはずはない。健闘はしたのだけれど、勝てなかった。
自分は、エラーはするし打てないし、最低の調子だった。活躍できていれば勝てたかもしれない。
結果、準優勝だった。
負けたことは悔しいけれど、県で2番になれたんだ。胸を張っていい。
頑張ったから、努力したからとご褒美をいただいたのだ。
自分一人の力ではない。みんなの力が結集したからだ。
それに、巡り合わせが良かったからだろう。

学校に戻ってからバレー部のキャプテンに「頑張りよったこと知っちゅうき、良かったね」と労いの言葉をもらった。
卒業式の時に野球部のエースから「野球部に入ってくれてりゃ勝てたのに」と愚痴られた。
少しは認められたかな。

病弱で体力のなかった俺がソフトボール部に入部したのは偶然だけど必然でもあろう。
少しずつ運動量を増やして体力をつけていった。
年中風邪をひいている感じで咳をして痰を吐いていたのに、体力がついてくるにつれて咳もしなくなった。痰も出なくなった。
運動することで体力がついたからだ。
だから運動の大事さを身をもって学んだと言える。
加えて、継続して努力することの大切さも学んだのである。

これ以後、不断の努力、巡り合わせがキーワードになっていくのであった。

→つづく

<参考>
ー以下、Wikipediaから抜粋ー

初代キャプテン 谷口
野球の名門である青葉学院から転校してきたために皆に期待されるが、実は2軍の補欠だった。
当初は卑屈な面があったが、父親の叱咤と協力を受けてレギュラーに匹敵する実力をつけようと陰で努力を続け、その姿勢をキャプテンに見込まれ墨谷二中のキャプテンとなる。
控え目な性格から当初は決断力に欠け判断を誤ることもあったが、やがてキャプテンシーを開花させ、過酷なスパルタ練習で墨谷を青葉学院と互角の戦いをできるチームにまで鍛え上げる。
ただし、後続のキャプテンである丸井、イガラシに対して長所短所ともに影響力があったために「少数精鋭(レギュラーもしくはベンチ入り選手のみ)で特訓を行う」という図式はイガラシ世代まで続けられ、選手層の薄さがチームの慢性的欠点になる。この点が改善されるのは、谷口を直接は知らない近藤世代を待つ事になる。
成長してからは目の前の目標に対して粘り強く真摯に取り組む性格になり、「頑張る」一辺倒の思考がときにナインの反感を買うこともあるが、諦めることなく夜間の自主練習に勤しむ姿を見た周囲をまとめ、自発的に意識改革を行うきっかけにも繋がっている。
青葉学院との再試合前に松下が肩を負傷し、イガラシ以外に投手がいない状態で最後の試合に臨まなければならなくなったためにピッチャープレートへの足の掛け方もわからないところから投手としての練習を始め、ついには青葉に通用するレベルのピッチングを見せナインを驚かせた。その試合途中、指を骨折したことをナインに隠し、ファール攻めで限界のイガラシに代わってマウンドに立つが、その場にいたナインだけでなく、後に同じく試合中に怪我を負った近藤をも勇気づけるエピソードになった。

第2代キャプテン 丸井
ポジションは一貫して二塁手で、他を守ったことが無い。
二年生時には1番、新チームのキャプテン就任後は小柄ながら3番を打つ。
持ち前の強い熱意でチームを引っ張るが、歴代キャプテンの中で最も短気で手が出やすく、「上下関係に疎いうえに自分を過信しがちな」近藤には特に厳しい。自分でもそのことを自覚しており、イガラシを副将格としてそのアドバイスをよく聞き入れるよう努める。
作中において最も谷口の人柄と姿勢を尊敬している人物である。後輩には江戸っ子口調が出る乱暴な面もあるが面倒見が良い兄貴分として接する。谷口キャプテン期の当初は、レギュラーの中で最も実力的に劣っており、イガラシにレギュラーを奪われる。そのことで退部を考えていたが、谷口のひたむきな姿を見て考え直し、自主練習をはじめて青葉学院戦では見事なプレイを見せて谷口を驚かせた。
キャプテン就任後は谷口の方針に依存しがちで、そんな部分と空回りが災いし、部員たちとの間に溝が生まれてしまう。最初の試合となった春の選抜では、下馬評で圧倒的有利だったが広島の港南中にまさかのサヨナラ負けを喫し1回戦敗退。当初はミスを繰り返した近藤に当たり散らし、その態度が顰蹙を買い一度はキャプテンを解任されるが、イガラシに諭され、全国大会を勝ち抜くための対策を怠っていたことを痛感する。キャプテンに再就任すると夏こそは全国大会優勝を果たすため、選抜出場校に掛け合い36チームとの練習試合を組み、全勝するためのスパルタ合宿を慣行。部員の大半がハードスケジュールに耐え切れずに脱落しながらも合宿を乗り越え、見事36戦全勝を果たす。
夏の大会は地区大会を圧倒的な力で勝ち進み、決勝で春の選抜優勝校・青葉学院と対戦。事実上の全国大会決勝ともいわれたこの試合を延長18回の死闘の末に制するが、この試合でほとんどの部員が負傷。それに代われるだけの選手がいない層の薄さが災いし、全国大会は棄権せざるを得なくなってしまった。
卒業後も墨谷の練習や試合にしきりに顔を出し、試合ではベンチの上からアドバイスを出していた(当初はベンチ内にいたが、監督ではない部外者ということで審判に注意され、以後はベンチの上から審判に分からないようにアドバイスしている)。さらには応援団の統率や対戦相手の情報を集めたり、野球部の合宿の面倒を見たり、イガラシが行き詰った際にさり気無くアドバイスや練習試合の手配をするなど、常に外部から墨谷野球部を支え続けた。
長期連載の『キャプテン』において第1話から最終話まで登場し続けた唯一の人物。
俊足で守備の上手さには定評があり、セカンドからセンターまで走ってフライを捕るなど、守備範囲が非常に広い。
バッティングスタイルとしてはライナー性の打球が多く、アベレージヒッターだが、少なくとも2本のホームランを放っている。

第3代キャプテン イガラシ
小柄な体格ながら天才肌で、青葉の監督をして化け物と言わしめる体力と、ポジションは一通りどこでもやってきたという優れた野球センスを併せ持つ。入学時から中学生離れした言動が多く、谷口以上に勝つためにはどんな犠牲も厭わない考えを持つ。言いたいことを無愛想にはっきりと言うその性格を先輩達に疎まれ、谷口キャプテン期に、ノックの際に高木[13]に殴られた事もある。しかし、1年時から実力は抜きんでており、谷口の決断でレギュラーとしてセカンドを守る(この時、丸井が外された)。試合中、松下の負傷から急遽ピッチャーとして登板し、落ちるシュート(シンカー系)など多彩な変化球を披露し、務めを果たした。谷口の猛練習を最も積極的に受け入れ、チームの中心選手として先輩ナイン達の敬意を勝ち取った。
2年生時には棘のある発言も少なくなり、感情に走りがちな丸井を冷静な視点で補佐する役割を負う。打順も丸井を差し置いて4番に入った。キャプテンとなってからは春の選抜優勝を目標に谷口・丸井以上の猛練習を行ったが、勝利・実力至上主義によるあまりのスパルタぶりと選手の怪我が問題になり、出場辞退を招いてしまう。それにより活動再開後も正規の時間でしか練習ができなくなってしまったが、夏の大会では数々の強豪チームを破り、悲願の全国制覇を達成した。
冷静沈着なイメージが強いが、1年生の頃はかなり短気であり、谷口に対してさえ業を煮し影で帽子を投げつけて批判したり、金成中学戦では激昂したところを丸井に諭されたこともある。2年生時にも、キャプテンとなった丸井が感情に任せて近藤を殴り倒したのを見た際には声を荒げて批判したこともあり、根は熱いものを持っている。
テスト成績は学年10番以内を取るほど学業においても優秀で、合宿の際には勉強法を指導したこともある。卒業後は墨谷高校に進学する。
実家は中華そば屋を経営しており、慎二という2歳下の弟がいる。
走攻守そろった選手であり、総合的な能力が高い。
バッターとしてはパワー型であり、長打を放つ描写が多い。
ピッチャーとしてはスピードのあるストレートに加え、多彩な変化球を織り混ぜながら精密なコントロールでコースを突くピッチングをする。球質が軽いことが弱点で自身でも自覚しており、長打を警戒する場面では近藤にマウンドを任せることもある。しかし実際に長打を打たれるシーンはほとんどなく、ホームランを打たれたのも1年生時の青葉戦のみである。

第4代キャプテン 近藤 茂一 
ポジションは投手と右翼手。三塁手も1回だけ守っている。
関西弁を話す。入部当時から中学生離れした巨体と剛速球の持ち主だったが、それゆえ当初は自惚れが強く、横柄な態度で丸井を激怒させ退部させられそうになる。しかもひたむきさが全くなく、苦手な守備練習や体力トレーニングになると途端にさぼろうとする。また常識的なルールさえ理解していない言動で周囲をあきれさせる事が多い。彼の実力を見込んだイガラシの推挙と指導をうけるも、選抜ではミスを連発し敗戦を招く。
夏の大会に向けた合宿では、離脱者が続出するハードスケジュールの中、1年生で唯一最後まで残り、イガラシに次ぐ墨谷のエースとして成長。投打で1年生時の地区大会優勝、2年生時の全国大会優勝に貢献する。しかし依然として大事な場面での凡ミスや無神経な発言があり、丸井からはよく蹴られ、チームメイトを幾度と無く怒らせていた。
キャプテンとなってからは、「自分が卒業した後、どのようなチームを残すか」を考えるよう父親に諭され、精神面でも落ち着きを見せるようになる。これまでのキャプテン達とは違って選手層を厚くするための育成型練習をし、素質のある後輩の抜擢と後輩らへの面倒見のよさでチームを引っ張る。
春の選抜では苦戦しながらも勝ち進むが、準々決勝の富戸中戦で近藤は危険プレーで退場、牧野と佐藤は負傷退場と立て続けに主力を欠いてしまう。そのため1年生を起用せざるをえなくなるが、1年生達の予想外の活躍により、最後は敗れるも互角に渡り合う事が出来た。
一方で近藤自身は退場後はふてくされてチームの指揮を放棄するなど、身勝手な一面も見せている。
球質の重い剛速球投手で強打者だが、バントなどの小技や守備が苦手で鈍足。入部当初はバント処理やセットポジションも満足にこなせなかったが、その後は下手なりに改善される。
3年生の時にはキレのある変化球も覚えた。一見へらへらとしたお調子者に見えるが、1年生時の青葉との決勝戦では、肩を壊しながらも最後まで完投にこだわり、2年時の南海中戦ではホームのクロスプレイで右手の爪が剥がれるも、疲労困憊のイガラシに代わり爪を庇わない投げ方で9回にリリーフをするなど、ときに丸井やイガラシすらうならせる根性を内に秘めている。


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