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樹齢500年の椎ノ木

昔、通っていた小学校近くの民家に大きな椎ノ木がありました。

それはそれは大きな幹で大人5人係りでやっと手を渡せる程のものでした。


宮脇さん家の庭先にあるのですが、塀がないので誰でも行けるのです。

はじめて行ったのはいつだったか定かには憶えていませんが、小学校低学年でしたろう。

椎ノ木の隣に住む清二という同級生に連れられ行ったのだと思います。

清二とは保育園の時からの付き合いです。小学校、中学校と同じでした。高校からはそれぞれ別の進路を進みまして何十年も会っていませんでしたが、最近また付き合いが復活しました。


そこで拾った椎の実は、拳銃の弾のように大きく、煎ると香ばしくとても美味しく子供にとって贅沢なお菓子でした。ピーナッツより上品で美味しかったですね。

自分の家にも椎ノ木があったので落ちてる実を見てみると、小さく丸い形をしていまして、見るからに人が食べるものではないと思えるものでした。

調べてみると、あの椎ノ木は「スダジイ」というらしいですね。そして、その実は全体が皮に包まれ、中から出てくる実は艶々と輝いているのです。


ある時、清二と2人して落ちている椎の実を探していましたが、全然なくて諦めて帰ろうとしていたところ、家のおばあさんが出てきて、紙袋に一杯の椎の実をくれました。しかも上手に煎っているのです。今までそんなことなかったものですからすごく感激してしまいました。

「あれ、うまかったなぁ」


「桧生原(ひさはら)の大シイ」というらしいです。

桧生原地区は、高知市の西に約80キロのところにあります。

四万十川中流域の川口地区から支流の井細川を上流に向かって5~6キロ進んでいくと左手にその椎ノ木が見えてきます。

桧生原地区のランドマークですね。

根元の周囲は10m、樹高23mは優に5階建ての建物以上の高さがあります。

樹齢500年以上ということです。

室町時代後期から、応仁の乱、安土桃山を経て、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と風雪を耐え時を経て生き残ってきた椎ノ木なのです。

樹の根元に立つと静謐な空間に包まれる感じがして神妙になっていきます。

それは子供心にも分かりました。


なぜ、この椎ノ木の話しを出したかというとこの間清二の家の倉庫に椎ノ木の大枝が折れて倒れて刺さったいうことを、見舞いに来てくれた清二から聞いたからです。


近くにあった小学校、我々が通っていた小学校は、もう廃校になって今はありません。

あれから40年、私の頭はごま塩になってしまい、清二の腰は曲がってしまいましたが、当時の思い出はそれぞれの胸に刻まれています。

弘瀬厚洋

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