ズームバックオチアイをズームバック(13) オードリータンふたたび後編
参考になった部分をメモのように記録しておきたい。
前編からの続き!
1年で一番好きな日は?
編集長(1987/9/16):
9/16 誕生日近辺はいくらでも無駄遣いしていいと決めているので
オードリー(1981/4/18):
私の誕生日4/18 プレゼントをもらうだけでなく、あげたりもしますよ
今回のテーマは!
SDGsにも挙げられているこのキーワード
『2022年、誰一人取り残さない No one will be left behind』道へ
透明液晶に文字がリアルタイム表示
2021年2月、
落合さんの筑波大学の研究室が発表したシースルーキャプションズ
編集長:学生さんが頑張りました、僕のやったことで言えば透明ディスプレイに字幕を表示してみたら楽しかったよと学生に渡したことぐらいです。
透明なディスプレイに話している内容をリアルタイムで文字を起こすことで、相手の表情を見ながらコミュニケーションが可能。
市役所などで試験導入された。ろうや難聴者の補助だけでなく、コロナで増えたパーティションやマスクで聞き取りづらい状況などで伝わりやすくなった。
オードリー:「AI」とは、Assistive(補助) Intelligence(知能)であるべき。
まさによき補助の好例。
技術を人に押しつけるのではなく、技術によって人を自由にしている
私が最も愛用するテクノロジーである『メガネ』もそうです、これいいなと思って使うことでより人々の中へと踏み出すことが出来る。
誰一人取り残さない結婚式
9月に研修室が手掛けた結婚式。
新郎は26歳で目の病になり、視界がぼやける『ロービジョン』になった。
結婚式には10回以上参加しているが、何でみんなが泣いたり笑ったりしているのか、状況がよくわからずその場をやり過ごしていた。
ロービジョンフットサルの日本代表でもあるため、同じロービジョンの友人が多数参加する結婚式なので相談。
そういうの大学の研究室に相談できるものなの?
・会場に多数スピーカーが配置されており、どこでスピーチが行われているか、スピーチ場所に合わせて音が出るスピーカーを切り替える
・お祝いビデオやアップの映像をスマートフォンに中継
それぞれのより見やすいを目指した。
技術を使って人が自由になればいい、選択肢が増える。
コミュニケーションを豊かにするためには「選択肢」が必要。
どれだけよさそうなものでも「使え」と相手に強制した瞬間にコミュニケーションではなくなる。
理解して、自ら選んで、使ってもらうことが肝心です。
台湾のコロナ対策
2021年5月に台湾で突如起きた感染拡大。
市民自らが進んで感染拡大防止に努めることを目指した。
デパートや飲食店の入り口にQRコードを設置。携帯電話のカメラでスキャンし、画面を押すだけで行動履歴を記録。
1. スキャン
2. 押す
3. 記録
もし、同じ時間に同じ場所を通った人が感染したら追跡可能な形にした。
結果的に2ヶ月で感染の抑制に成功した。
こだわったのは、新しいアプリを使わないこと。
QRコードをスキャンするだけ、日頃よくやっていることの延長だったので市民もスムーズに参加してくれた。
トップダウン、シャトダウン、ロックダウンで人をダウンさせて従わせるよりも遙かに効果があった。
問題が起きたとき、中央集権的な人はやたらと新しい方法を入れたがる。やれ新しいバージョンが出来たから更新しろとか、やれパスワードを入れろとか命令しすぎ。スマホを持っていないとかスキャンしたくない人は、紙に連絡先を書いてくれればいい形にした。
選択肢を常に準備し、誰もが自分のやりやすい方法で参加できるようにする。これが誰一人取り残さない社会の最も重要なカギだと思う。
アシスティブテクノロジーでやってはいけないこと
アシスティブテクノロジー:
障害による物理的な操作上の不利や障壁を機器を工夫することによって支援する技術のこと
健常者の方にそろえてしまうと、その文化が失われる。
ロービジョンにはロービジョンのカルチャーがあるし、耳が聞こえない人には耳が聞こえない人のカルチャーがある。
だって、手話が全部字幕になったら嫌じゃないですか。
台湾ではコロナになってから、毎日午後2時に記者会見を開催していたのですが、そこに必ず手話を入れていた。
すると、その記者会見を毎日見ていた人の中で、「手話だと、この単語はこう表すんだ」「この場所は、こう表すんだ」という関心が高まりました。
全く違った世界の捉え方があることにみんなが気付き、その結果、『手話を学ぼう』というトレンドがいま起きています。
誰一人取り残さないに終わりはない
そうした全く違った世界の捉え方がもたらされる可能性を考えずに、『ダイバーシティ(多様性)』や『インクルーシブ(包摂:つまり多様な人を取りこぼすことなく包み込む方法を考えるということ)』という言葉でごまかしていないか注意が必要。
最近、インクルーシブ(Inclusive)という言葉がSDGsの条文や、政府のプロジェクト、企業の計画にも頻繁に使われるようになった。
バズワード(はやり言葉)になると消えちゃう。大抵のことは。
言葉っていうのは、意外としゃべるだけで納得しちゃって、アクションに落とさないことがたくさんある。インクルーシブって言っている人は、それがインクルーシブだと本当に思っている。だけど、インクルーシブという言葉で囲われた内側に入らないものが必ず存在する。
例えば、これから産まれる子どもたちには発言の機会が与えられていないし、動物や植物、山や川にも投票権を与えていませんが、どちらも未来の大きなカギを握る存在。目の前の課題を解決するのはとても大切ですが、それで終わることは決してない。
世界が完成したっていうとダメ。完成すると外側にあるものを見なくなる。インクルーシブにするというのは、永遠に向いている方向であって状態ではない。
それぞれの旅
編集長:
子どもと飛行機で一緒に福井まで行った。
子どもが「福井に恐竜博物館があるんだって」って、「おまえ、どこで仕入れたんだその情報」
子どもの反応は、「おっきいー」
小さいときに思っている恐竜ってあの身体性、恐竜はやっぱりでかくていい。同じ地球上に住んでたとはなかなか思えない。
オードリー:
日本に行きたい。東京オリンピックの開会式に来日の予定があったが、感染が収まらないので来日を断念していた。
この日、着ていたのも東京オリンピックの台湾チームのユニフォーム。2022年もし行く機会があればぜひ着ていきたい。
こんな機転の利く人になりたいなぁ
ワクチンの不平等
オミクロン株を報告した南アフリカは、ワクチンの不平等を訴えた。
アフリカ以外の地域は7割近くに達しているが、まだ2割未満の摂取率。
ワクチンの問題はほとんどは資本の問題、資本が多い国で開発され、それがさらに新しい資本を生み生まれた資本によってまたワクチンが独占されるってことを繰り返している。
日本が台湾にワクチンを分けてくれたのが、台湾の大規模接種の基盤となった。そのことに改めてまず心から感謝を申し上げます。
その上で、少しだけ弁護するとすれば、新型コロナウイルスのワクチンは極めて扱いが難しい。超低温のあれが運べる、保管できる技術や環境は限られている。先進国で接種が先に進んだのはしかたがないと説明することは出来るでしょう。
でも、ここから先は違う。人の命が関わっている以上、本来 科学者からは最初から運びやすいワクチンを作らなければならない。政府や企業はワクチンの開発や運搬方法の確立に資金を投入しなくてはならない。
届いたことを喜ぶだけではなく届かない人がいることを想像しなければならない
核兵器と倫理
急速に進歩するテクノロジー、それをどう活かすか。
問われるのは使う者の『倫理』
1922年日本に向かう船でノーベル賞の受賞の知らせを知ったアルバート・アインシュタイン。日本で大歓迎を受けた彼は稲垣守克通訳の案内で1ヶ月間日本全国を巡った。第一次世界大戦(1914-1918)に傷つく祖国ドイツの姿に胸を痛めいていたアインシュタイン。平和な日本の光景が生涯忘れられないものとなる。
「日本の伝統が発達してきたのは特有の優しさやヨーロッパ人よりも優れていると思われる同情心の強さゆえでありましょう」
しかし、それから23年後の1945年8月6日、広島に原爆投下。自身の理論が応用された原子爆弾によって自身が愛する日本が焦土と化した。
もし私がヒロシマとナガサキのことを予見していたら1905年に発見した公式を破棄していただろう。
想像力というのは経験したことないことは分かんないですから、原子爆弾の後と前で、おそらく彼はいろいろなことを考えただろうなと思う。
罪の意識にさいなまれたアインシュタインに手を差し伸べたのは、日本で通訳を務め終生の友となった稲垣でした。1948年正月、稲垣の依頼でアインシュタインは日本の新聞にメッセージを発表。
「不幸を防ぐ道はただ一つ、これらの兵器を確実に管理し、法的権限をもつ世界政府を樹立すること」
核兵器を手にした人類が持つべき『論理』を伝える運動に身を投じる。
1955年ラッセル=アインシュタイン宣言に繋がる。
核兵器は敵味方関係なく人類を滅ぼしうることを明記。東西冷戦下で核への抑止力として、極めて大きな意味を持つこととなりました。
宣言への署名直後に没したアインシュタイン。稲垣が再来日を願った時は病気を理由に断りつつもこう応えた。
「今度生まれ変わったら第一に日本を訪れよう。」
ITと倫理
今の人類はインターネットのおかげで繋がった『つもり』になっていますが、機械が繋がっただけで人はまだまだ繋がっていない。
暗い森の中で誰かと出会ってもとつぜん仲良くすることは出来ませんよね。
でも、相手の国を旅したことがあったりSNSで知っていたり、どんな形でもいいから相手のことを知っていれば助け合って共に森を抜け出せる。こうした人と人との繋がりを見いだすためにITはある。
とかく技術があるからいい、技術の進歩が未来を拓くとばかり考えて、技術が人を追い越してしまうと戦争のような悲劇は止められません。
ホモコンヴィヴィウム HOMO CONVIVIUM
編集長が考える2022年のキーワード
ホモサピエンス(考える人)からホモコンヴィヴィウム(共に過ごす人)へ
Convivium:ラテン語で饗宴
うたげの席を囲み共に過ごすことを意味する
どうやって共に過ごすか。
人間が高度に発達したネットワークに接続されるようになってから20年30年ぐらいしか経っていない。アリはフェロモンで、イルカは超音波で、遙か昔からネットワークに接続されている。人類の繋がり方にはまだ改善の余地がありますが、必ずしも新しいハイテクによって果たされる必要はない
最近やったのは、日本の和紙に写真を印刷するワークショップ。
和紙って1個1個手作りで作る。我々は紙って無限に使っちゃうじゃないですか、考えを書き留めたりとか。だけど、その和紙とかだとおばあちゃんが1個作るのに数分掛けて作るわけです。ゴミ箱に捨てらんないですよ、見てると。
それを使ってそこに印刷するようなワークショップをこの前やってたら、我々が書き留める一文字一文字には物質的な消費や、それを作っている人の顔が浮かんだりとかして、そういったような、『誰かが自分のために何かしてくれた』感覚が工業社会では非常に失われがち。
工業社会にいると誰かがやってくれたことは失われていくので、人が持っていた痕跡や相互理解のために繋がる何かを理解可能な形にしていく。
コロナウイルスの対策にも応用できる応用可能な姿勢だと思う。感染者を『どこの誰か分からない人』と考えるのではなく、「同じ人類の仲間が感染している」「なんとかしよう」と考える。それが問題解決への近道。
個々が自分の進む道を考える『ホモサピエンス』を超えて、
みながみなで進む道を考える『ホモコンヴィヴィウム』へ。
うん、これでいきましょう。
台湾で編集長と会ったら何をする?
きた!
もし来れなくてもぜひ対戦しましょう。
今はバーチャルでも対戦できますから。
オードリーが最後に持っていた本はこれの原作かな
Notes of Travel in FORMOSA
今回は、いつも以上に共感できる内容でした。
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