物事を愛で選択してみる
私には最近、確固たる行動指針ができた。
それにより毎秒とても幸せで、
今を生きられているという感じがしている。
「2つの愛によって行動を決めるということ」
それが最近の行動指針だ。
何かを始めたり、選択するときに
決定するための要素として大部分を占めるのが
社会的な目線だと思う。
私の今までの人生も、この要素が
かなり幅をきかせてきた。
かなり幅をきかせていることに、最近になって気づいた。
でも近頃思うのは
世間的に良くないと受け取られがちなことでも、
そのことによって自分がご機嫌で、明るい気持ちになり、
人に優しくなれて、周りも幸せになれば、
それはもういいとか悪いとかの枠を超える。
そもそもやっぱり、常識とか、正解っていうものは
あって無いようなものなのだなぁということ。
そう。
だから、そんな得体の知れないものに縛られて、
頼って、苦しくなることは
何だかちょっと違う気がするのだ。
なんか違うんだよー!
ということで、
自分なりに様々な情報を収集し
編み出した最高の行動指針が
”2つの愛によって行動を決める”。
自分が今やろうとしていることは、
愛から生まれたものですか?
そして自分自身を幸せに、ご機嫌にしますか?
この2つにYESと答えることができれば、
大抵のものは
世間のノイズを気にせずに
実行していいものだと思っている。
昔、特に学生の頃とか、
みんなと違うファッションにこだわったり、校則を破ったり、
枠から外れた行動をする人を、下に見ていたなぁと思う。
”自分はきちんとしているから、私のが偉い”みたいな感覚が
絶対どこかにあったなぁと。
だけどあの人たちは、ものすごい自分軸を持っていたのかもしれない。
世間に踊らされない、自分なりの行動指針を。
若いから、もしかしたら自分への愛だけで動いていたのかもしれないけど
最初だからいいの、しょうがない。
それで恥ずかしい思いをしたり、頭をぶつけて、
「あれ?自分よがりじゃダメなんだ」って気づいて、
第二の”愛”の目線が入ってくる。
それに気づいて行動できれば、失敗は最高の経験にかわるのだろう。
あの時の彼らは、若いのに、すごかったんだなぁ!!
結果的に常識とか世間的にいいとされることばかりを選んできた自分は
ある時点で苦しくなって、模索することになり、
いろいろ恥ずかしい思いもして、
やっと今の心地いい状態にたどり着くことができた。
彼らはちょっと大人になってから私が経験したことを
もうあの時点で、やっていたのかもしれない。
気づきの早さ、あっぱれ…
”自分なり”ということも、”周りへの愛”の形も人それぞれだから
己の感覚に従った結果、
それが世間的にいいとされることの範疇だった人もいるだろうし、
周りとは少し違う道を行く人もいるのだと思う。
でも、どの世界にいても、
自分を自分で満たすことができて、
自分の行動に責任を持ち、
自分の人生を生きることができている人は
やっぱりかっこいい。
私はそんなかっこいい人になれたらいいなぁと思い
最近は自分の好きに従う、”自分への愛”と
それによって周りは幸せになるか?という”周りへの愛”、
その2つの愛による判断で、
毎日、毎分毎秒の行動を決めている。
そんなふうにして、
私らしさを表現できたら
未来はどんなふうになるのかなぁと
毎日ワクワクしながら、
実験するように生きてみている。