[卒業後の進路]アイドルグループ卒業後のアイドルグループ活動[美勇伝問題]
モーニング娘。を卒業した上で芸能活動を続けるメンバーは大体の場合、ソロで歌手活動を続けるか、舞台(芝居)を中心に活動するかのどちらかしかない時代がありました。
2005年までに卒業したメンバーの中では中澤、後藤、安倍、飯田といった方々はソロ歌手としての活動に移行しました。
保田は舞台を中心とした活動に移行したパターンではあるのですが、ネームバリューもありバライティーを中心にメディア出演もコツコツ続いていたという印象です。
まだ小学生だった矢島舞美と共に舞台出演した際に、舞美が舞台の内容とは関係ない部分で笑ってしまい「そんなことでは伝わるものも伝わらない」と舞台への取り組みかたについて指導したエピソードがあるのですが、保田圭の人柄についてや仕事に対する姿勢、後輩への指導に関するエピソードはぐっとくるものが大変多くて好きです。
舞美がこのエピソードを語っていた際に「私はまだ小学生で、そのときはこわくて泣いてしまったんだけれど、今思うとありがたいお言葉だよね。小学生に本気で怒ってくれたんだよ。私なら出来ないもん」ともし自分が小学生に指導する側だったら……という点に言及していたのですが、小学生にプロとして舞台に立つときの心構えを本気で教える保田圭は本当に凄いと思います。
ダブルユー(辻加護)はイレギュラーではあるかもしれませんが、違和感みたいなものはありませんでしたし、歌手活動を続けていくパターンでもありました。
ふたり共、喘息がありコンサート中に過呼吸を起こすことがたまにあったので、健康上の理由もデュオというかたちになった要因ではあるように思います。
ダブルユーだけの単独コンサートはやってないというのもそれが理由だと思いますし。
(正確にいうと何かの催しで事実上の単独コンサートをやれたことが1回だけあるんですよね。観たかった。観た方がホントに羨ましいし、何かの手違いで映像化してほしかった)
で、なんですけれど。
石川梨華さんです。
卒業後は別のグループのメンバーとして活動しますという新形態。
モーニング娘。を卒業することが決まり、卒業前に2名の新人と共に美勇伝というグループを結成。
娘。と美勇伝を並行して活動し、卒業後は美勇伝のみの活動へ。
これどうだったんだろうと未だに思うところはあるし、新グループを結成するなら卒業後にしておいた方が本人たちにとっては良いのになと。
お披露目のタイミングを考えるなら石川さんがモーニング娘。のメンバーであるうちに結成して活動した方が良いという判断なんでしょうけれど、新しい勤め先や新しい同僚がもう存在しているけれど、長年勤めてきた職場にまだ自分はいて一緒に切磋琢磨してきた仲間と過ごす日々はあと僅かで……っていう状況、苦しくないですか?
美勇伝は最初から最後まで人間関係が上手くいかなかったグループっていう印象がとにかく強くて、最終的には本人たちが不仲をネタにしはじめてなんとかそのあたりの問題をマイルドにしていく方向へ持っていけたようには感じますが、そもそも成り立ちからして上手くいきそうにない空気が漂ってました。
この問題ってBerryz工房とカントリー・ガールズを同時にやってて、カンガルのプレイングマネージャーになった桃子とは全然、違うんですよね。
娘。卒業後は新人と結成したグループで活動していきますって発表されて、実際に新グループを結成した娘。メンは石川さんが始めてです。
モーニング娘。の人気も下火になっていっていた時代とはいえ、おそらくソロ歌手としての活動は厳しいと判断されたのでしょう。
ただ、石川梨華です。
モーニング娘。のメンバーとしてとてつもなく売れて、人気もあって、一時代を築いたアイドル石川梨華なんです。
そして、石川梨華のために新人2人が集められ、石川梨華をセンターにし、リーダーにしたグループが結成され、活動を始めました。
上手くいく未来が見えないスタートですよ。ホントに。
石川さんも粘着質でキツい性格してるので面倒な方なんですが(先輩という立場には向いてないタイプ)一概に石川さんが悪いともいえず、新人である岡田唯(岡やん)と三好絵梨香(みーよ)が悪いともいえず。
ただ、美勇伝のラジオは別名パワハララジオと呼ばれ、石川さんが岡やんとみーよに延々とパワハラを行い、石川さんが欠席している回では岡やんとみーよが石川さんへの不満や愚痴、文句を垂れ流すというアイドル番組にあるまじき聞きたくない内容で有名でした。
その内容に耐えられず番組を聞かなくなるファンが続出するくらいでしたので。
そんなアイドルラジオはなかなか無いですよ。
最初はなんとか頑張って距離を縮めようと石川さんも石川さんなりに頑張って「梨華ちゃんって呼んで」とか言ってたんですけれど、イラッとするようなことがあると大先輩であることをアピールしたり、自分がいるから美勇伝というグループが出来てふたりはデビュー出来たみたいなことをちらつかせはじめて、岡やんとみーよを押さえつけにかかるというそもそもの構造的欠陥や、それぞれの性格や気性の問題が何重にも上手くいかないようにさせる要因を生み続けたという悪循環ですね。
根本的な部分の問題としては誰が悪いみたいな話でもないとは個人的には思うんですよ。
美勇伝のこと好きですし、石川さんも岡やんもみーよも好きなんで。
最初から上手くいくわけないグループだったとも思いますし。
ただ、あえて何か言うならば石川さんはグループのトップとかリーダーに向いてないタイプだというその一点だけですかね。
娘。メンの中でも数少ない高校生でオーディションに合格してデビューした4期最年長。
直の先輩である後藤真希は年下。
同期に辻加護。
元々の性格もあったでしょうが、歴代娘。メンの中でも石川さんは上下関係や規律といったものに対して非常に重きを置く人物であるといった面で考えるのであればトップクラスで保守的な方です。
6期として加入した藤本美貴とは自身が卒業する直前まで犬猿の仲だったのもよくわかります。
非常に真面目ではあるものの感情的になりやすいタイプで、なおかつ人付き合いが苦手であるが故に、後輩でいられるなら後輩でいさせてもらえる環境に身を置く方が気楽だし、のびのびとしっかりやることやれるっていう部類の人という印象ですね。
石川さんのダメ出しになってしまってますけれど、なかなか難しいことですが、もし自分がトップアイドル石川梨華だったらと仮定して考えてみてください。
飯田さんが卒業して1期が全員いなくなったモーニング娘。
そのモーニング娘。から自分も卒業する。
卒業するにあたって新人2人と新グループを結成して、リーダーとして自分が引っ張っていかなければならない立場になる。
まだ仲を深めることが出来ていないメンバーに色々教えなければいけないこともあるし、また1からのスタートになるから自分自身もやらなきゃいけないことが山ほどあって、今までとは同じようにいかない。
モーニング娘。の活動と美勇伝の活動を同時にこなしながら卒業コンサートツアーの準備をしていたら、ツアーがはじまる直前に矢口が脱退して歌割りやフォーメーションや何もかも全て1からやり直し、覚え直し。
そんな卒業コンサートツアーですよ。
卒業までの流れを考えると石川さんって歴代娘。メンの中でもかなりとんでもない目に遭いながらなんとか卒業したんですけれど、石川さんの卒コンの印象より矢口脱退の印象が強すぎて、なんか気の毒になってしまう部分がありますし、この流れの中で美勇伝のことを考えたり上手いことやったり出来るかって思うと流石にちょっと無理だと思う。
で、この流れの中で美貴と和解したのもわかる。
緊急事態が起こってそれをなんとか乗り越えたとき特有のやつ。
結局のところですね。
グループの組み方が最初から良く無かったという点に尽きるんですよ。
美勇伝っていうグループの結成について石川さんだって思うところは沢山あるでしょうし、岡やんとみーよだって言いたいことは山ほどあるでしょうよ。
もうそこからまずかったよね、と。
とはいえ、この段階ではこの方法しか無かったかなぁとも思うし。
美勇伝ってどうしてもこういう系統の話が多くなってしまうグループなんですが、当時のハローでは太陽とシスコムーンやメロン記念日の流れにいてくれるグループという印象で良かったし、もったいなかった部分は沢山あるんですよ。
3人組特有の面白さがあるし、良作の宝庫だし、石川さんが着実に歌唱力アップしていく過程を見守れたし、なにより美勇伝のコンサートツアー名「美勇伝説」は素晴らしいと思ってる。
(ツアーごとに美勇伝説Ⅰ 美勇伝説Ⅱといった感じ。ツアー名が毎回あるパターンよりシンプルで、僕はこのシンプルさが非常に好きでした)
最初に考えなきゃいけないところがおざなりだったのが明らかだから、メンバーにあれやこれや言うのは筋違いだと思ってしまうなぁというのが美勇伝っていうグループの結成から活動終了まで追いかけての感想ですかね。
この後、卒業後に新グループで活動していくパターンが増えましたけれど、立ち上げに関してアップフロントも色々慎重になったとは感じてます。
さて。
ハローがはじめてカウントダウンコンサートをやった際にみーよが久々に登場して石川さんと美勇伝の曲を披露したんですよ。
久々のステージにみーよも感激して泣きそうになってました。
MCで石川さんが「美勇伝は解散してないからもう一度やらない?」ってみーよに振ったとき。
みーよは「はい」とも「いいえ」とも言いませんでした。
そして、岡やんは来ませんでした。
おしまい。